家族のために見世物になることを選んだ四本足の少女「ジョセフィン」

1896年、アメリカのテネシー州にて一人の女の子が生まれた。彼女の名前はジョセフィン・マートルコービン、産まれた時も非常に健康体であったが、一点だけ他の人と違う所があった。

なんと彼女の足は「4本」あったのである。

彼女がなぜこのような足で産まれてきたのか。当初は原因が分からなかったが、後に彼女が実は二卵性の双子だった事が判明。胎児の時期に2人分の胚が合体したようで、2人分の骨盤が並んだ状態で産まれてきてしまったのだ。歩行できるのは外側の2本で、内側の2本は動かす事はできたものの、体を支えて歩くだけの力は有していなかったという。

ジョセフィンが13歳になった時、父親が彼女を近所の人に見せた所、1人1人から10セントずつお金をもらえたことから、彼女を売り出す事を決めた。

パンフレットには「テネシー州の4本足少女(The Four-Legged Girl From Tennesse)」の見出しと「夏の日差しのように穏やかな性格の、幸せな女の子」とのキャッチコピーが書かれ、新聞広告にもなって彼女の元には多くの人が訪れるようになった。この興行は大当たりで、彼女は様々な都市を巡った後、有名な興行師P.T.バーナムのショーに4年間出演することとなった。




その後、18歳の時に知り合った医師と結婚し、翌年には子どもをもうけた。ちなみに彼女の生殖器も2つあったそうだが、妊娠・出産には問題がなかったようだ。最初の妊娠の時は体調が芳しくなく、残念ながら流産になってしまったが、その後4人の元気な子どもを出産している。

41歳の時、彼女は経済的な理由もあって興行を再開。1909年にはニューヨークのフーバー・ミュージアムに姿を現し、有名なサーカス団やショーに出演して大金を稼いで引退した。その足から奇異の目で見られる事も多かったが、生前の彼女を知る人によれば、「非常に知的で音楽の趣味もある上品な女性」であったという。

1928年、彼女は溶連菌による皮膚感染症に倒れて亡くなった。今でこそ抗生物質で治る病気だが、1920年代には治療法も確立していなかったのだ。彼女の死を悼む人は多かったが、埋葬後は彼女の墓はコンクリートで埋め立てられてしまった。一見過剰にも思えるかもしれないが、彼女の家族は複数の医師や興行師が彼女の遺体を高額で買い取ろうとしていることを知り、誰も遺体に手を出せないよう埋め立てることにしたのだ。

体に大きなハンディキャップを背負いつつも、見せ物となって家族を支える事を選んだ女性は、今も安らかに眠っている。

(加藤史紀 山口敏太郎タートルカンパニー ミステリーニュースステーションATLAS編集部)

画像 ウィキペディアより引用

 

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