ネス湖の怪獣を退散させた聖コロンバ生誕から1500年

未確認生物の代表格であるネス湖のネッシー。このネッシーが初めて記録されたのは西暦565年、アイルランドの修道僧である聖コルンバの伝記とされている。折しも2021年12月7日は聖コルンバ生誕から1500年を記念する日となっている。

記念日を踏まえ、改めてコルンバ伝のネッシーに関する記述に詳しく触れてみよう。

聖コルンバはアイルランド北西部ドニゴール地方の王族の家計に産まれ、聖職者の里親の元で育ちクロナード修道院の名僧フィニアンの下で修行した。その後、543年に故郷にデリー修道院を、547年にはダロウ修道院を創建して修道院長となるなど宣教に勤めていたが、後に起きた信仰上の争いから563年にアイルランドを逃れ、スコットランドにて宣教を行ったという。

ネッシーと同一視されている怪物が出てくるのは前述の通り西暦565年頃。7世紀にイオナの修道院長アドムナンが書いた『Vita Columbae(コルンバの生涯)』には次のように書かれている。

「猛獣(『水の獣』と呼ばれていた)はネス川の底で眠り、隠れ家に潜んでいた。やがて水面に上がってくると、大きな唸り声を上げて男(聖コルンバ)に突進した。しかし聖コルンバは手を上げて十字架のサインをした。聖コルンバの声を聞くと、獣はロープで引っ張られたかのように、あっという間に退散した」




この記述から解るとおり、実はネッシーとみられる怪物はネス湖ではなくその近くのネス川に住み着き、姿を現している。また怪物の「水の獣」という記述からはケルトの香りがすることから、聖パトリックが象徴的な蛇の「異教徒」をアイルランドから追い出したように、聖コロンバが「異教徒」の宗教を追いやった事を怪物退治になぞらえた、象徴的な物語なのではないかという指摘がある。実際、聖コルンバはこの後現地に住んでいたピクト人たちを改宗させている。

そもそも前述の『Vita Columbae(コロンバの生涯)』は編纂された時期も聖コルンバが活動していた時期から1世紀も後に書かれており、記された内容の多くは歴史と一致しないという。そのため、この本は聖パトリックと並ぶ名声を聖コロンバに与えるために書かれたものではないか、とする説もあるのだ。

自分たちとは異なる人々を妖怪や怪物のように見立てることは、洋の東西を問わず昔からあったことだ。ネッシーの伝説も初めは宗教伝播の過程の中で産まれたものだったのかもしれない。

(田中尚 山口敏太郎タートルカンパニー ミステリーニュースステーションATLAS編集部)

画像©ウィキペディアより引用

 

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