アメリカのフロリダ半島、バミューダ島、プエルトリコの三点を結んだ間に広がる北大西洋の海域バミューダ・トライアングルは、昔から船や飛行機が行方不明になるとされていたため「魔の海域」と呼ばれている。

現在では嵐などの悪天候による遭難や、人為的な航行ミスによる事故の事例が憶測を呼んで「消失の相次ぐ魔の海域」と呼ばれるようになったのではないかと言われているが、約100年経った今でも多くの謎が残るのがアメリカ海軍の給炭艦USSサイクロプス号の失踪だ。

USSサイクロプス号は1910年5月7日に進水した全長165メートルの給炭艦で、一度に12500トンの石炭を運ぶことができ、一度に2トンを持ち上げることができる巨大なバケットを備えた、当時の米海軍で最大かつ最速の輸送船だった。

第一次世界大戦が勃発すると、ドイツの軍艦や潜水艦が待ち構えている大西洋を横断し、同盟国のフランスに医薬品を届けるために使用されていた。

1918年3月、サイクロプス号は軍需品を作るためのマンガン鉱石をボルチモアに輸送するため、カリブ海に入った。そして3月4日には悪名高いバミューダトライアングルに入ったのだが、無線で「天気は良好、すべて順調(Weather fair, all well)」と告げたのちに忽然と姿を消してしまったのである。




このときサイクロプス号の乗員306人全員が消息を絶っている。そのため、この事件は敵対行為以外で米海軍が被った最大の犠牲者をマークしている。

しかし、なぜサイクロプス号は悪天候でもないのに忽然と姿を消してしまったのか……今でも謎が多いが、幾つかの説が唱えられている。

第一の不可解なこととして、船長に変わった点があった。


画像©ウィキペディアより引用

ジョージ・W・ウォーリー船長は残忍かつ凶暴な気性の人物で、些細な違反行為でも乗組員を怒鳴りつけ、時には肉体的にも暴行を加えた。弾の入ったピストルを持って少尉を船内で追い回したこともあったという。また、彼は下着とダービーハットだけを身につけて船内をパトロールしていたこともあったようだ。

そんな彼は1878年にアメリカに移住してきたドイツ人だった。名前を変えてアメリカ人になじんでいるように見えたが、戦争状態にあったにもかかわらず、友人のほとんどがドイツ人で、船の乗組員や乗客名簿にもゲルマン人の名前が多く見られたため、多くの人から不信感を抱かれていたという。(後編に続く)

(田中尚 山口敏太郎タートルカンパニー ミステリーニュースステーションATLAS編集部)

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