亡くなった親族と共に記念撮影?ヴィクトリア朝の人々の奇妙な文化

イギリスのヴィクトリア朝の人々は、現代人が病的だと思うほど死への興味を根強く持っていたという。その結果「メメント・モリ」と呼ばれる、死を象徴する奇妙な芸術を生み出したという。

ヴィクトリア朝時代の人々は、短い寿命と高い死亡率が当たり前だった。不衛生な環境と基本的な医療の欠如により、ジフテリアやチフス、コレラ、結核などが蔓延。極端な貧困や公衆衛生の悪さ、現代よりも医学が進歩していなかったことが手伝い、当時の人々は平均で40歳までしか生きられなかったという。

そのため、人々は死と隣り合わせであり、常に自分や他者の死を受け入れる文化の下地があった。その結果生まれたのが「メメント・モリ」の文化だった。

「メメント・モリ」は当初、亡くなった人のデスマスクや髪の毛をジュエリーの中に芸術的に展示することから始まった。しかし写真技術の進化とともにメメント・モリも進化、写真を通して身内を不滅のものにしようと、亡くなった身内と一緒に写真を撮るようになったという。




死体と共に初めて撮影された写真は1841年のものと言われている。

当時一般的なダゲレオタイプの撮影方法では、露光時間は15分から20分程度と長かったため、人物は動きの影響で顔がわずかにぼやけているが、故人にはほぼ鮮明にピントが合っているという奇妙な写真になっている。

当時でも写真技術はまだ非常に高価で、多くの人にとって手の届くものではなかった。それでも遺された家族が愛する人の姿を残すための唯一のチャンスとして、死者との写真撮影の文化は定着していったのである。

1860年以降は、死者の目を開けた状態で撮影したり、写真を撮る前にまぶたに目を描いたりして、故人が生きているかのようにして撮影するのが主流になった。

1861年にはアルバート王子が亡くなり、ヴィクトリア女王が深い喪に服した。この行為が国を挙げての深い喪に服す習慣のきっかけとなったようで、死後の写真撮影などの文化はますます盛んになったという。

その後、医療の向上と写真の普及により、死後の写真の需要は減少していった。人々の寿命が延び、家族が生前に写真を撮ることができるようになったからだ。

現代では、死者との写真は奇妙で不気味なものに見えるかもしれないが、かつて死が身近にあった時代のの人々の死生観を我々に伝えてくれる。

MEMENTO MORI (VICTORIAN & MODERN) PART #1

(田中尚 山口敏太郎タートルカンパニー ミステリーニュースステーションATLAS編集部)

画像 The Occult Museum @OccultMuseum / Twitter

 

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