お情け無用!?遊女達の悲劇的な顛末!!

画像©ウィキペディア『鳥居清長の版画:美南見十二候九月(漁火)遊廓で遊女がくつろいでいる図である。千葉市美術館所蔵』引用

お情け無用!?遊女達の悲劇的な顛末!!

かつては遊郭通いが男の甲斐性とされていたが、現在は吉原など観光地化された跡地が残っているだけである。中には花魁を目指す意識高い遊女もいたが、このような身売りする女性達は身寄りのない者や前科持ちなど訳ありであった。

20代後半入ったくらいで年季明けしていたので、意外にも病死する女性の方が少なかった。大半の遊女は身請けされていた。だが幼いうちから自由のない身で人権などなく厳しい扱いを受け続けていた。

仕来りを守れない者は折檻された。中には殺生され全裸にされた状態で、粗薦に包まれ投げ込み寺逝きにされた。祟られないように人間としての扱いをせず、畜生道へ堕とすという恐ろしい迷信があった。余計に遊女の怨念が根深く残りそうである。

枕荒し(窃盗)や足抜け(逃亡)に阿片喫煙などが無論処罰の対象にされていた。心中や遊郭内同士の恋愛も禁止され、客に対しての悪質な恋文乱発勧誘も処罰の対象であった。




普段から遊女の管理をしていた女郎上がりの遣り手や楼主の女房が折檻することが多く、若い衆や禿(子供の見習い)も普段から見張り役に使われていた。

遊女の商品価値を下げないために、身体に傷がつかない方法で折檻された。便所掃除や飲まず食わずの身にされ寝させて貰えないだけでなく、全裸にされ麻縄で吊り上げられたり水攻めにされたりする極刑もあった。水をかけることによって麻縄がキツくなったり、水桶に顔をつけて呼吸できなくさせたりして苦しめていた。

中にはニラや唐辛子などによる燻し責めや、筆や羽毛によるくすぐり責めの罰などもあった。一見軽めに見えるかもしれないが、長時間されるのは苦しそうである。鞍替え(左遷)だけで済んだ場合もあったが、さらに境遇が苦しくなる。

客の気分を損ねたりお茶引き(客をとれない)した状態が続いたり、病気で寝込んでいただけでも仮病をして怠けていると見なされ折檻された。遊女同士で愚痴を言い合うだけでも厳しく罰せられた。

使い物にならないと見なした場合やひどい時は、楼主が自ら手をかけて殺めてしまう場合もあった。

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勘定できない客も罰を受けた。風呂桶をかぶせると顔が見える位置に穴が空けられており、通行人の前で晒し者にされた。遊女が受ける極刑とは大違いで、滑稽である。

遊女達の境遇は折檻抜きだったとしても、普段から腐った同然の飯しか食べさせて貰えないという劣悪な環境であった。

吉原では何度か放火や放火未遂があった。遊女達の反逆によるものであった。火事は江戸の華と言われたが、放火の罪は重たかった。遊女が遊郭に放火した場合に限り、火炙りにされるはずが流罪で済まされた。意外なことに、お情けがかけられていた。

当時の遊郭では折檻され殺められた遊女の幽霊騒ぎもあったとか・・・

現代でも遊郭跡地には成仏しきれていない遊女の怨霊がいるというガチ怖怪談まであるのだ。女の怨みほど恐ろしいとは実によく聞く話である!性別に限らず、人から怨みを買ってはいけない!!

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『遊郭の女たち』

(ふりーらいたー古都奈)

参考サイト
excite blog 吉原遊廓(よしわらゆうかく)と廓内女郎折檻(くるわうちじょろうせっかん)
excite.ニュース 吉原で常態化していた、遊女へのパワハラがむごい
excite.ニュース  燻し責め、くすぐり責め…江戸時代の遊郭で遊女たちに行っていたキツいお仕置き!?
笑ってトラベル かつて吉原の風俗店で行われた遊女への折檻(せっかん)
ミツカン水の文化センター 機関誌『水の文化』57号 江戸が意気づくイースト・トーキョー

 

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