「神社」を通して見る日本人② 神社は日本古来の寛容性を思い出させてくれる

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神道は外来の仏教を深く受容してきた

 前回は「神社の中心が空っぽである」ということに関連して、日本人の心の中心や国の中心もまた、いい意味で「空っぽ」であるという話をした。ここでいう「空っぽ」とは決してネガティブな意味ではなく、釈迦直伝の原始仏教の説く「空」につうじるものだ。

 日本に伝来した仏教の中で原始仏教に最も近いのは禅宗だが、日本の禅宗が優れた禅師を数多く輩出してきたのは、日本人の中にもともと「空」の感覚が根付いているからだと思われる。

 そして、仏教が神道と融合しながら日本に深く根付くことができたのは、神社や神道のあり方に関係しているだろう。

 神道に偶像はないが、日本に伝来した仏教に関しては禅宗も含め、偶像としての仏像と無縁ではない。また、教えを説いた経典を重視する点も、特にこれといった経典を持たない神道とはかなり趣を異にする。

 それにも関わらず日本には仏教が根付いた。しかも、神道と仏教が融合する神仏習合により、日本では神道と仏教の境目がはっきりしない時代が千年以上も続いた。明治新政府が発布した神仏判然令よりも前は、神社なのか寺院なのかはっきりしない宗教施設が数多く存在したのだ。

 宮中でもそれは同じで、古来の神事が連綿と伝承されていく一方、天皇の即位式では「即位灌頂」という仏教儀式が江戸時代まで行われていた。神道の中心ともいえる天皇が仏教を受け入れていたことに違和感を覚えるかもしれないが、それは我々が神仏判然令後の神道や仏教しか知らないからである。




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IMG_2603 / senngokujidai4434

日本は無宗教の国なのか?

 明治新政府は、神仏判然令により神道と仏教を明確に分けた上で神道の国教化を図ったが、そうした方針は信教の自由を損ねるものとして西洋諸国から非難された。そこで政府は「神道は宗教ではない」というコンセプトを打ち出し、神道を国のシステムに取り込もうとする。

 その意図は別として、実は「神道は宗教ではない」というのは意外と神道の核心に触れている。というのも、神道には偶像や経典など信仰の中心となる実質が基本的に存在しないからだ。

 そのため、明確な信仰対象を持つ宗教と比較するとそれは宗教でないものに見え、日本に詳しい西洋の知識人の中にも「日本は無宗教の国だ」と考える者が少なくない。キリスト教文化圏で育った者にとっては、仏教はまだしも神道は宗教に見えないのである。

 しかし、神道が宗教でないからこそ仏教を受容して習合したともいえる。

 神道は中心が「空っぽ」で、どんなものでも映す鏡のようなものであるがゆえに、外来の宗教である仏教もその中にたやすく受容できた。この寛容さこそが神道の美点ではないだろうか。

 この美点を宗教性と考えてもいいだろう。神道は世界の大多数が考える「宗教」にはあたらないかもしれないが、その代わりに真の宗教性に満ちている。真の宗教性とは受容性であり、寛容性であり、そこから生まれる慈悲や慈愛である。


画像 ウィキペディアより引用

神道は自然災害すらも需要してしまう

 神道は日本人の間で自然発生したものであり教祖は存在しない。その意味で神道は日本人の心性を反映している。もしくは、その逆に日本人の心性が神道を反映しているのかもしれないが、いずれにせよ、神道がそうであるように日本人の多くもまた寛容な心性を持っている。

 とはいえ、寛容といっても自身や自身の大切にするものへ害を為すものに対しては、そうなれないことは当然ある。異質なものへの恐れから排他的な姿勢をとる人もいるだろう。

 また、神道それ自体も人間にとって脅威となるものに対して対立的な姿勢を取ることがある。「祓いたまえ、清めたまえ」と罪穢れを祓おうとするのもそれに関係してきそうだ。

 しかし、そんな場合でも対立して戦うのではなく懐柔する感じに近い。たとえば、高天原で大暴れしたスサノオは暴風をモチーフとした神とされるが、神話の中では高天原を追放されただけで殺されたりはしていない。

 一方、そのスサノオが退治したヤマタノオロチは一説には氾濫した河川をモチーフしたものといわれる。その尾からは草薙剣が出てきており、退治したといっても実際にはオロチが剣に変わったものと考えていいだろう。この剣は治水工事の象徴かもしれない。

 これも一種の懐柔といえ、その剣が後に三種の神器に位置付けられたことを考えると、自然災害すらも深く受容してしまう神道の奥深さがよく実感される。




伏見稲荷大社
伏見稲荷大社 / Kentaro Ohno

日本人は仏教だけでなく実はキリスト教にも寛容だった

 スサノオのように、日本では自然災害の多くが神格化され、人々はその神に祈りを捧げることで被害を最小限にとどめようとしてきた。

 そして、こうした寛容性ゆえに神道の内側深くに仏教が入り込み融合することも可能だった。神社の中には神宮寺という寺院が建てられ、一方、それに呼応して寺院には鎮守社という神社が建った。そして、神社なのか寺院なのか分からない宗教施設も数多く建ち、今でも鳥居のある寺院や五重塔のある神社などが残っている。

 キリスト教も伝来した時代の政治状況が異なっていれば、そのように神道との融合も可能だったろう。事実、九州のある島では土着の信仰と融合したキリスト教が、そこ独自の信仰として今なお残っている。

 真言宗・高野山の奥の院の参道には神仏習合の名残として数多くの鳥居が見られるが、そこには「景教碑」というキリスト教ネストリウス派に関係する石碑もある。これは1911年にイギリスの宗教学者が建立した比較的新しいものだが、それでもこれを建てるのを許した高野山側の懐の深さには感嘆してしまう。

 なお、真言宗の祖・空海は神道の稲荷神への信仰もあつく、稲荷神は京都・東寺の守護神にもなっている。

 ここで述べたことを心に置き、ぜひ機会があれば神社や神仏習合の名残を感じられる寺院へ足を運んでみてほしい。そこで感じられた日本古来の寛容性は、きっとあなた自身の寛容性を育む助けとなってくれるはずだ。

(神谷充彦 ミステリーニュースステーションATLAS編集部)

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Vol.328【奇跡か! 平将門公由来の鬼王神社! 大師様の未来の計画書、玄天教典を入れた筒を捉えた! Part 1】

 

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