私的解釈『善人なほもて往生をとぐ、いはんや悪人をや』

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 浄土真宗の開祖、親鸞聖人の教えとして『歎異抄』にあるこのフレーズ、知らない人の方が少ないだろうし、意味も何となくどこかで聞いたことがあるだろう。しかしこの教え『悪人正機』は、親鸞聖人が突然変異的に発明したものではなく、日本における仏教の受容と発展の中で、段階的に育まれてきたものであった。

 釈迦が入滅してから千五百年、あるいは二千年経つと、正しい教えが失われ、どんなに修行しても自力で往生することができなくなる、末法の世が来ると言う(末法思想)。

 釈迦入滅の年は不明なので、いつから末法の世がはじまるかについては諸説あるが、日本では永承七(一〇五二)年が末法の始まりであると信じられ、人々に恐れられた。実際、平安後期の日本はと言うと、政治は藤原氏の専制が進み、庶民は戦乱や飢餓や疫病に怯え、救うべき僧侶は武装して(僧兵)現世利益を貪るというありさまであったから、人々が末法の到来を実感したのも無理からぬこと。





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 そこでクローズアップされたのが阿弥陀如来である。

 仏教の諸仏は、大きく三つに区分される。すでに悟りを開いている(仏)のが如来。やがて悟りを開くことが約束されているのが菩薩。彼らを助けて仏法のために働くのが明王や天などである。最初は開祖の釈迦(仏陀、シッダールタ)一人が如来だったのだが、仏教の発展過程で、如来は五人に増えた。中でも阿弥陀如来は、西方極楽浄土の教主であり、『南無阿弥陀仏』(阿弥陀さまに帰依します)と称名を唱えた、全ての衆生を救うとされている。

 いくら何でも簡単すぎる、とは思うが、これが末法の人々の心に大ヒットし、貴族から文字が読めない下層民に至るまで、みな『南無阿弥陀仏』を唱えるようになった。このムーブメントを『浄土教』あるいは『浄土信仰』と呼ぶ(天台宗を中心に広がったが、この時点では独立した宗派ではない)。

 とは言え

 「それでもやっぱり五戒(不殺など、出家でなくても守るべき戒律)くらいは守った方がいいんじゃないのか」
 「口先で称名を唱えても、心が伴っていなければダメだ」

 などの考えが支配的であった。そこに大胆な新説を突きつけたのが、後に『浄土宗』の宗祖となる法然である。

 「阿弥陀仏が五戒を守れない職(武士や猟師・漁師など)の者たちや、称名の意味のわからぬ幼子たちを救わぬなど断じてあり得ぬ。とにかく口で『南無阿弥陀仏』と唱えさえすれば、誰でも救われるのだ」

 この考え方を『専修念仏』という。だいぶ時代は降るが、宗教改革者マルティン・ルターが「教会に救いを求めるより、むしろ自分で聖書を読み、自分で直接神に祈るべきである」とカトリック教会に反旗を翻したのに似ていなくもない(プロテスタントも教会には行く)。





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 法然は天台宗の高僧であり、天台宗は浄土信仰の中心であったが、いくら何でもこれは革新的過ぎた。天台宗だけでなく、他の宗派までもがこぞって法然を非難する。

しかし彼らの本音は

 「『南無阿弥陀仏』と唱えれば誰でも成仏できるなら、俺たち(僧侶)の存在は必要ないじゃないか! 喜捨や寄進で生活している俺たちの食い扶持を奪うつもりか!」

 いつの世も他人のシノギに手を突っ込んだら戦争である。延暦寺・興福寺の訴えを受けた後鳥羽上皇(のちに『承久の乱』で鎌倉幕府に敗れる)は、法然を土佐国(途中で讃岐国に変更)に配流。すでに法然の弟子であった、後の浄土真宗(一向宗)宗祖・親鸞も越後国に配流となった。

 法然は十ヶ月で赦免され、五年後に京都で死去する。

 一方、配流によって師と引き離された親鸞は、法然の死の直前に赦免されたが、冬の越後国から出られず、師との再会はかなわなかった。親鸞は東国(関東)での二十年間の布教活動に赴き、師の思想のその先を目指す。

 「経典によると、阿弥陀仏は修行に当たって四十八個の誓い(四十八願)を立て、その全てが達成されない限り、自分は成仏しない(悟らない、如来にならない)と宣言している。誓いの一つには『過去・現在・未来に渡り、全ての衆生を成仏させる』というのがあり、その阿弥陀がすでに如来となっているのだから、我々の成仏は約束されている!」

 「すでに約束されている以上、称名を唱えようが唱えまいが、我々は成仏してしまう! 素晴らしい! 皆で称名を唱えて、阿弥陀仏に御礼申し上げよう!」

 そしてこう続けた。

 「我々衆生は一人残らず、善悪の判断のつかない『悪人』である(善悪の判断がつくのは仏陀ただ一人)。そのことに気づかず、自力で往生しようと思い上がった『善人』は、阿弥陀仏の本願力を疑う、とんでもない奴らだ! だがもちろん、阿弥陀仏はそんな『善人』をも差別せずに救う!」

 自分が『悪人』である自覚のある者こそ、阿弥陀仏の救いにふさわしい。これが冒頭に掲げた『悪人正機』である。





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 親鸞はあくまで「法然の弟子」を名乗ったが、これはもはや独自の宗派であった。親鸞の死後、弟子たちにより、生前に遡って『浄土真宗』が開宗される(法然も生前に『浄土宗』を開宗したわけではなく、死後に弟子たちが生前に遡って開宗している)。

 ちなみに法然の孫弟子(親鸞の弟子ではない)でやはり「我々はすでに救われている!」ことに気づいてしまったのが時宗の宗祖・一遍で、こちらは
 
「すでに成仏が約束されているなんて、超アガる! このアゲアゲな感じは、ダンスでしか表現できない! 踊り狂って阿弥陀仏に御礼申し上げよう!」

 となったのが「踊り念仏」である。

 歴史的事実関係には気をつけた(間違いがあれば訂正するのでご指摘願いたい)つもりだが、解釈は全く私的なものなので、この解釈を信じて本願寺に突撃した場合の責任は取らない。念のため。

(すぎたとおる ミステリーニュースステーションATLAS編集部)

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