直線的な時間と円環的な時間 ――日本の気候が育んだ時間感覚が謙虚で職人肌の日本人を作りだした

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日本人は時間を円環的に捉えている

 西洋では時間を直線的なものとみなすのに対し、東洋では円環的なものとみなしてきた。

 ここでいう直線的時間とは、2020年の翌年が2021年、さらにその翌年が2022年……というように過去から未来へ一方通行で流れていくこと。一方、円環的時間とは毎日繰り返す24時間の時の流れや、毎年繰り返す12ヵ月の時の流れのことを指す。繰り返すから「円環」ということだ。

 これは人が時間をどう認識するかという違いであり、東洋の中でも特に日本では四季の変化がはっきりしていることもあって時間を円環的に捉える傾向が強く見られる。

 四季の変化がはっきりしていると、なぜ時間を円環的に捉えるようになるのか? たとえば、桜の季節になると「ああ、もう桜の季節か」と、季節の繰り返しとして時の流れを実感する人は多いだろう。梅雨や台風なども同じことだ。そのように、日本人は毎年繰り返す季節の変化を強く意識しているために時間を円環的に捉えやすい。

 そうした傾向を持つことから、二十四節気や七十二候を記載したカレンダーは今でも広く受け入れられている。二十四節気、七十二候とは暦の節目に季節感のある名称を付けたもので、今でも改まった手紙では「啓蟄の候~」など、時候のあいさつとして二十四節気を入れることが一般的に行われている。

 二十四節気や七十二候は、元は中国で生まれた概念だが、現代ではどちらかというと日本人のほうがこれを重視している印象がある。





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円環的時間と謙虚さ、そして技術

 こうした円環的な時間感覚は日本人の謙虚さにつながっているようだ。

 日本人の心には、満開の桜もやがて散るように物事には時節があり、いい時期はずっとは続かないというある種の諦念が見られ、これがいい形で出ると謙虚さとなる。

 これまで成長・発展してきたんだからこれからもっと高みを目指せる……と考えるのが西洋人だとすれば、日本人は成長・発展の後にはやがて衰退の時期が来るからおごらず堅実にやれることをやっていこうと考えるのだ。

 日本が技術大国になったのも、そうした謙虚さが理由の1つだろう。

 季節の繰り返しを意識することから生まれた円環的な時間感覚は、同じことの繰り返しの中で少しずつ改善していけばいいという考えにつながり、それは多くの場合、どの分野においても職人肌として発揮されることになる。


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国際的競争ではマイナスに働いてしまうことも

 ただ残念ながら、日本式のこのやり方が世界を舞台にした競争において、いい方向に働いていない現状もある。

 欧米の企業、特に米国企業は時間を直線的に捉え、5年先、10年先を見据えたビジョンで動いているため、その時点では試作品レベルの製品でも積極的に販売展開してしまう。

 たとえば、Appleの音楽プレーヤーiPodが初めて世に登場したとき、実は日本でも同種の製品を開発していたが当時は記憶媒体がハードディスクだったため防振対策でてこずっていた。結果、Appleに遅れをとる形となってしまったが、実は当時のiPodは防振対策などしていなかったのである。故障が多発してもいいから、とにかくこの新しい商品が創出する市場において圧倒的なシェアを確保し、その上で資金調達して改良していけばいいという考え方なのだ。

 その後、AppleがiPhoneという革新的な製品を販売して携帯電話の世界を一新したのは衆人が知るところ。こうしたダイナミックな仕掛けは、謙虚と改善が身に染み付いている日本人と日本企業にはなかなか難しい。

 自動車業界でもそれは同じで、2003年に設立された電気自動車製造のテスラ社は、細かい改善など後回しにして革新的なクルマを次々発売したことで、「カイゼン」を旨として堅実なクルマ作りをしてきたトヨタを超える時価総額となってしまった。

 そのように国際的な競争においては、円環的な時間感覚から生まれた日本人の謙虚さや職人性は必ずしもプラスに働くわけではない。しかし、それでもなおそうした徳性を捨てるべきではないだろう。日本人は季節の移ろいから栄枯盛衰を学んでいるからこそ、決して枯れないものも生み出すことができる。日本が世界で一番、長寿企業が多い国となっているのはそういうことだ。





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神道の祭事と円環的時間

 さて、直線的時間と円環的時間という2つの時間感覚の違いは人生観や宗教性にもかかわってくる。

 たとえば、直線的な時間感覚では10年後、20年後、30年度をどうしても意識してしまうために、死への恐怖が強くなる。またそれに伴い加齢を非常に嫌う。西洋人のお金持ちが美容整形に金をつぎ込んだり、医学が発達した未来に蘇生してもらうことを期待して遺体を冷凍保存したりするのはそのためだ。

 また、この世界にもいつか終わりが来ると意識してしまうために、宗教では「世界の終末」が説かれる。キリスト教徒は今の世界が終わるときに救われるためにキリストを信じているのである。

 一方、日本の神道では世界の終末が説かれることは決してなく、6月と12月の大祓、五穀豊穣を祈る2月の祈年祭、収穫に感謝する11月の新嘗祭など、季節の巡りを意識した祭事が暦の節目ごとに行われる。新年の初詣などもその1つ。まさに円環的時間が生んだ宗教といっていいだろう。

 こうした宗教的感性は、「今は良い時節でなくとも、やがて良い時節がやってくる」という楽観性にもつながり、台風や地震など天災の多いこの日本列島において、打たれても打たれても立ち上がってくるたくましさを育んだ。

 このたくましさは、新型コロナウイルス感染症で揺れる世界にこそ必要なものだろう。それは、円環的な時間感覚や神道を広めるということではない。激動の時代にあってなお日本人が謙虚かつたくましく生きていく姿勢を見せることが、世界の人々にとってある種の励ましとなるのではないだろうか。

(神谷充彦 ミステリーニュースステーションATLAS編集部)

 

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