なぜ大阪は下品だといわれてしまうのか

画像©Takuro Obara PIXABAY

≪神戸人・戸田恵梨香が言った「大阪って下品」の意味≫

今から数年前になるが、人気女優の戸田恵梨香がラジオ番組のなかで、「大阪って下品でしょ」と、発言してネットを中心に大炎上させて、その後謝罪をするということがあった。

まあ、公の電波で特定の地域を下品といってしまうのは、いかがなものであろうかと思いもするが、彼女のいったことに対して、当の大阪人も神戸人も、ほとんどみんなが納得をしていたのも事実である。

やはり神戸人である俳優の古田新太は、もっとはっきりと、「関西人として、大阪と一緒にされるのは迷惑だ。俺は神戸の人間で、東京が好きで仲良しだ」といった。

私は関東・東京の人間なので、この関西人同士が共有する、嫌悪感にちかい感覚というものが、長らくわからないでいた。しかし、最近とみに東京に増えた、関西各地の人々と交流が進むにつれ、すこしづつそれがわかってきた。

今回は、そんな下品といわれてしまう、大阪のはなしである。


画像©Arut Thongsombut PIXABAY

≪大阪に対する司馬遼太郎の考察≫

下品とは何かといわれたら、それは節度のなさという一語につきる。大阪が下品といわれてしまう理由も、まずはこの節度のなさなのではなかろうか。
 
そんな事象に対して、ちゃんと考察をした知識人がいる。

大阪生まれで、大阪育ちの国民的作家、司馬遼太郎である。歴史小説の大家である司馬遼太郎は、大阪人の節度のなさを認めたうえで、その原因を江戸時代の大坂の自治システムに求めた。
 
簡潔にいえば、幕藩体制下で日本中が封建制度であった中、ひとり大坂の町だけがそうではなかったといことである。
 
江戸時代、大坂の町は幕府直轄領であり、町は北組・南組・天満組という三つの地区に分けられて、それぞれに、町人の選挙で選ばれた町年寄が行政をになっていた。

武士といえば、大坂城には城代がいたが、これは武官であり、町の行政にはかかわらない。あとは、東西二つの町奉行所にいる役人たち、総勢でも200人ほどの与力と同心だけであり、これは人口約70万の大坂町人からしたら、いないも同然であった。
 
すなわち、頭を押さえつれる権威・権力というものが際立ってうすく、その結果、日本全国を覆っていた、武士の美意識・節度というものに影響を受けずに発展をしてきてしまった。

これが大阪人とその文化の行儀の悪さの原因である。


画像©jacqueline macou PIXABAY




≪天井のある町東京と、壁のある町大阪≫

正しい分析ではあるが、これだけならそこそこの評論というものであろう。だが、司馬遼太郎の真骨頂はこの後につづく、作家、芸術家(小説は言語による芸術である)としての感覚的な文化論である。
 
東京の町を歩くと、つくづくこの町には天井があるなあ、と思う。

天井とは頭を押さえつけられるような、権力と社会のルールに対する厳しさのことであるが、大阪にはそれがない。大阪人は、権力というものをなめているところがあり、言ってみれば東京がシャンと立っているのに対して、始めから寝転んでいるようなところがある。

これは神戸との関係においても同じで、神戸の町はシャンと立っている。
 
なるほど、戸田恵梨香や古田新太が感じた大阪に対する異和感は、ここらがその正体であろう。

そして、その頭を押さえつけられた東京には壁がない。壁がないというのは、外の世界との関係を切ってしまわないということなのだが、大阪にはこの壁がある。

あれほどの大都会であるのにも関わらず、大阪の町には外との関係を断つ壁が無数に存在するというのである。

この感覚は実にわかりづらいので、一つ例をあげて考えてみたい。

今から25年前、1995年におこった、阪神淡路大震災の時のはなしである。この大災害のおり、全国からおびただしい義援金が集まったのだが、その額を都道府県別に見たとき、興味深いことがあった。
 
義援金額の一番多かったのは、東京都であった。人口も多いし、経済力もあるから当然といえば当然なのだか、東京の人間にはどこか自分たちが、日本国家の柱石であるという感覚を無意識に持ち続けている。

2位は隣の神奈川県。3位が千葉県。そして、4位が静岡県で、5位がようやく大阪府なのであった。

私は当時この順位を見ていったい、何が起こっているのだろうかと思った。

東海大地震への関心の高さがあるとはいえ、静岡県の人口はわずか450万人にすぎなかった。対して大阪府は、人口800万超。しかも、被害の大きかった、兵庫県・神戸市に隣接しする、一衣帯水の大都市ではないか。

壁があったのだ。

同じ電車に乗り、同じ球団を応援し、同じテレビ・ラジオを視聴していたとしても、大阪の人間と兵庫の人間との間には、この緊急時にもかかわらず、乗り越えられない壁があったのである。


画像©cavydog PIXABAY

≪大阪は下町、神戸・京都は山の手≫

壁の正体とは何であろう? おそらくは、土着性というものかと思われる。

大坂の町は、大阪で生まれて大阪で育った人々が多い。いつだったか、東京と大阪のOLについての調査で、東京のOLの自宅からの通勤比率が、わずか3割だったのに対して、大阪のそれは、7割を超えていた。土着民が多いということである。

ちなみに2020年現在、東京都民のうち、東京生まれ東京育ちの人々の割合は、4割である。当然、土着性は薄いのだが、先に述べた通り、東京には頭を押さえつける天井と、人をシャンとさせる文化というよりも、文明があるので、人々に東京人という意識が強くある。

司馬遼太郎は、京の都を中心とした上方の文化圏の中において、非権威主義的で土着性の高い大阪を下町にたとえ、京都や神戸など独立した文化を誇る町を、山の手になぞらえた。




≪大阪の女子高生が辟易する、東京の女子高生の人当たりの強さ≫

大阪にある壁は、確かによその土地の人たちからしたら困りものなのだが、反面その壁の中に入り込むことを許されれば、そこは温かく、互助的で居心地がいい世界となる。

人は他人に日常的に心遣いをおこたらず、何事にも直接的な物いいはひかえるようになる。だから、その温かい壁の中から、人生経験の浅い若者が、異なった土地に放り込まれたとき、かなり高い度合いで軋轢が起こる。

特に多感な高校生が、東京に転校をしてきたときは大変なのだという。

私は以前、大阪から高校時代に東京へ転校をした経験のある女性たちに話を聞いく機会があった。彼女たちが異口同音にいったことは、東京の女子高生たちの人当たりのキツさが、たまらなかったということである。

キツイというのは、別に意地が悪いということではない。

私も含めた東京人の話す言葉は、標準語・共通語である。標準語・共通語は江戸時代に徳川の旗本たちが使っていた、本江戸言葉というものをベースに、日本の近代化のため機能性を最重要視されて作られた言語である。

機能性というものはイエスかノーか、プラスかマイナスか、白か黒かをはっきりとさせることであり、これはほかの日本の方言世界からすると大変に異質なものである。

日本人は欧米人からよく、イエスかノーかをはっきり言わないと批判されるが、これは日本人の近代化以前のメンタリティーに由来をするのであろう。

壁の中で忖度をしつつ、温かい言語空間にそだった大阪の女の子たちには、この常に白か黒かわ鮮明にする東京のあかぬけた少女たちの、てきぱきとしたやり取りが、当たりのキツさと感じられるのである。


画像 きじ本店(新梅田食堂街) Kiji(Okonomiyaki, Umeda) / jetalone

≪大阪と東京・二つの近代≫

幕末、ペリー艦隊の浦賀到着直前の、大坂の町の識字率は実に8割に達していた。ペリー来航があと20年後であったならば、その割合は間違いなく9割を超えていただろうといわれている。

巨大な商業都市であった大坂においては、字が読めなければ、商人、職人、船頭どの職業をとっても、まともな稼ぎを得ることはできなかったため、人々はこぞって寺子屋で読み書きそろばんを習った。読み書きそろばんといっても、そのレベルは実に高く、漢文の授業では、順調にすすめば、唐詩選などという格調高いものまで教えていた。もちろんその数も日本一であった。

特筆すべきは、この寺子屋の師匠は、ほぼ無給であったことである。つまり、ボランティアであったわけだが、その半分が女性であった。特に未婚の若い女性が多かった。

ここが、日本における近代文明の苗床の一つであったことは間違いのないことだろう。ただ、大阪は実利的な商業などには力を入れたが、国家の仕組みやどうあるべきか、などということを考えていく形而上の学問はふるわなかった。

こちらのほうは、当たりの強い白黒をはっきりとさせたがる、切れのある言葉をはなす、江戸の方が担っていくことになった。

権力の圧力をあまり受けず、今もってそれを嫌う大阪が近代主義の車輪の片側であったことは、日本にとって、実は大変な幸運だったのではないだろうか。

たとえ、下品だとさげすまれることがあったとしてもである。

(光益 公映 ミステリーニュースステーションATLAS編集部)

 

関連記事

最近の投稿

ページ上部へ戻る