世界地図を回転させると「日本の別の顔」が見えてくる

古代中国人が憧れた東方の神山=日本

通常、地図の上方向は「北」だが、別にこれは絶対的な決まりではなく、あくまで便宜上のものだ。たとえば、移動しながら使うカーナビやグーグルマップなどでは、自分が向いている方向が上になるよう設定している人も多いだろう。

そこで世界地図も同様に回転させてみると、これまで見えなかったものが見えてくる。

まず、日本周辺の地図を「東」が上になるよう回転させてみよう。すると、日本列島と琉球弧がちょうど中国と太平洋を隔てる壁のように見えてくる。


©Google Map/Google




このように回転させた地図は、中国が尖閣諸島など琉球弧のエリアに領海・領空侵犯を頻繁に行う理由を地政学的に説明するときにも用いられる。日本は中国が太平洋に艦船を展開する上でまさに壁の働きをしているのだ。さらに、そこから中国と対立する台湾へ、親米国家のフィリピンへと「壁」がつながっていくこともこの地図ではよく分かる。

中国としては面白くない「壁」だろうが、その一方で昔の中国においては東の海のかなたに神仙の住む三神山(蓬莱・方丈・瀛州)があるとされ、後に蓬莱や瀛州は日本を指す言葉となった。そう考えると、太陽が昇ってくる東方は古代の中国人にとって天上界のようなイメージだったのかもしれない。

歴史上初の中華統一を成し遂げた秦の始皇帝は、徐福が率いる3000人の男女と多くの技術者を東方の三神山へ送り込んだというが、中国の日本に対する領土的野心の裏には案外と、こうした憧れにも似た東方への思いが底流として存在しているのかもしれない。

広大なユーラシア大陸の文物・文化の受け皿としての日本列島

では逆に世界地図の「東」を下にしてみよう。

すると、日本列島はユーラシア大陸の下方にある「受け皿」のように見えてはこないだろうか? 通常、世界地図には道は描かれていないが、古くからユーラシア大陸にはそこを横断するシルクロードが通っており、その交易ルートは日本にまで届いていたというから、その意味ではまさに「受け皿」で間違っていない。


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鎖国のイメージが強すぎて明治維新まで外国に対して日本が閉じていた印象を持つ者も多いようだが、実際にはペルシャ製グラスが奈良時代や平安時代の文物を納める正倉院に残され、平城京ではペルシャ人の役人が働き、東大寺大仏殿の開眼供養法会ではインド僧が導師を務めていた。これを指して「奈良はシルクロードの終点である」という言葉もあるほどだ。

また、沖縄では3~4世紀のローマ帝国のコインと、17世紀のオスマン帝国のコインが発掘されており、ユーラシア大陸の西の果てからこの東の果ての日本まで、さまざまな経路で文物が流入してきていたことがここからも分かる。無論、文物だけでなく文化も入ってきていたはずだ。

たとえば、沖縄では「男は肋骨が1本足りない」ということわざがあるが、これなどは旧約聖書の創世記においてアダムの肋骨を取ってイヴを作ったというはなしを連想させる。また、沖縄の「看過(シマクサラシとも)」という風習はユダヤ教の「過越しの祭り」によく似ているともいわれる。

これに関連して日本人とユダヤ人が同じ祖先を持つとする「日ユ同祖論」という説があるが、人種的に同じというよりはユダヤ教の思想が日本にまで流れ込んで影響したと考えるべきだろう。ユダヤ教ばかりでなく、ギリシャ神話から日本神話への影響や、エジプトの霊魂観からの影響などもいわれている。

日本人が他国の文化に対して非常に寛容なのは、こうしたことが背景にあるのではないか。

琉球弧が天に駆け上げる階段のように見えてくる。

最後に地図の「南」を上にしてみよう。この場合、通常の地図と天地反転しているせいか、ほかのパターンと比べて一番違和感があるかもしれない。だが、太陽が最も高い位置に上がる南を上にするのはむしろ自然に即した表示法ではないだろうか。

現行の「北が上」の方式は、夜間に方位の目安となる北極星の方向を上にしたものといわれ、これもこれで自然に即してはいるが、南が上ではいけないという理由にはならない。もしかすると、近代地図の基礎を生み出したギリシャ人らが南方の人々を「下」に見たというのも理由の1つかもしれないが定かではない。

いずれにせよ「南」を上にしてみることで、やはりこれまで見えてこなかったものが見えてくる。たとえば、沖縄まで含む日本列島をそのようにしてみるとどうか? この場合、琉球弧(九州の南から台湾へと連なる島々)がずいぶんと上方の果てまで伸びているように感じられる。まるで天に駆け上げる階段のようにも見えてくるのだ。


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ここで考えてみたいのが「高天原」という言葉だ。高天原とは日本神話における神界のような場所のことだが、「天(あま)」には「海(あま)」との二重の意味があるともいわれる。となると、天の果てにある場所とは海の果ての場所のことで、また高天原は太陽神・天照大神の在所であるため、はるか南方の果てと考えるのが妥当だ。つまり、高天原とは今でいう沖縄あたりのことではないか?

日本神話では、天皇家の祖先にあたるニニギノミコトが天照大神の神勅を受け、高天原から現在の宮崎県あたりに天降ったとされているが、これも沖縄から宮崎に船でたどり着いたと考えるとつじつまが合う。

さらに、古代中国・魏の歴史書である魏志倭人伝の記述についても触れておこう。この書には邪馬台国の位置が記されているのだが、朝鮮半島南端から対馬、壱岐を経て現在の福岡県に至り、そこから約1ヵ月かけて船で南へ南へと移動した先に邪馬台国があると記されている。やはり、普通に考えればこれは沖縄を思わせる記述内容だ。

邪馬台国を大和朝廷の前身として位置付けるなら、邪馬台国は日本神話の中では高天原として描かれ、それはすなわち沖縄であると考えるのが最も自然に思えるのだが、この説は日本の歴史家の間ではほとんど相手にされていない。やはり地図の基礎を生んだギリシャ人らと同じく南方を「下」に見ているのだろうか?

世界地図の南北が逆さになるような価値観のどんでん返しが起きる?

大正期から昭和初期にかけて、日本では霊的ルネッサンスとでもいうべき宗教的概念の百花繚乱が見られたが、その中でも特に先鋭的だった天津教が太古からの歴史書として公開した「竹内文書」には南を上にした世界地図が描かれていた。

また、ある種の予言書として今でも一部で影響力を持ちつづけている「日月神示」には「天地ひっくり返るような大騒動」という一文があり、もしかするとこれは世界地図の南北が逆さになるような価値観のどんでん返しを意味しているのかもしれない。

つまり、世界の支配権が北方の人々から南方の人々へ移動し、これまで低みに置かれていた存在が高みに置かれ、善と思われたものが実は悪で、悪と思われていたものが実は善であったというような、そんな価値観のどんでん返しが起きてくるのではないか。

できれば災害や戦争や恐慌などを伴わない形が好ましいが、いずれにせよ、ここで地図を回転させたようにいろいろな方向からものを見られる人は価値観の変化をすんなり受け入れられるだろう。

もしそうでないとしても、ユーラシア大陸の文物や文化の受け皿として多様性を受け入れてきた日本人であれば、世界のほかの地域の人々よりはずっと容易に価値観の変化に対応できるはずだ。

(神谷充彦 ミステリーニュースステーションATLAS編集部)

 

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