ヤハウェとスサノオ――日本人は自然災害を受容することで強く優しくなった(後編)

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【ヤハウェとスサノオ】2 つの神の類似と違いに見る日本人の徳性(前編)より続く

ヤハウェ、バアル、スサノオは「竜殺しの神」

前編では、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教が唯一神として奉ずる神「ヤハウェ」と、日本神話に登場する神「スサノオ」の性格がよく似ているという話をした。

後編となる今回は違いの部分に焦点を当てていくが、その前にもう1つだけ、よく似ている点について触れておきたい。

ヤハウェとスサノオはどちらも、嵐や疫病など自然からもたらされる不条理な破壊や死と関連づけられているが、同時に自然の脅威から人間を守る存在でもある。神話の神とはそのようにコインの裏と表のような二面性を兼ね備えているものだ。

嵐やそれにともなう竜巻、洪水、波が荒れる海などを象徴化したものの1つが「竜」だが、旧約聖書には最強の生物とされる海竜「レヴィアタン」をヤハウェが殺した記述がある。また、ヤハウェと同じルーツとされるウガリット神話のバアル神もまた、レヴィアタンと同一視される「ロタン」という竜を打ち倒している。

一方、スサノオがヤマタノオロチを倒した話は有名だろう。ヤハウェやバアルの竜退治の話と不思議に重なるとは思わないだろうか。

ヤハウェとスサノオが似ていることに気づいている人は少なくなく、それと関連してか、日ユ同祖論の論者の1人であるイスラエル国立アリエル大学のアビグドール・シャハン教授は、ユダヤ民族の集団が「スサ(スサノオ)」に引き連れられて紀元前610年頃に日本に到着したという説を主張している。

日ユ同祖論については前回否定的な見解を述べたが、それはそれとして、シャハン教授がこの説をとるのはスサノオの中にヤハウェと似た性格を見たからではないだろうか。


画像©ウィキペディアより引用

容赦のない自然災害としてのヤハウェ像

さて、その非常によく似ているヤハウェとスサノオで決定に違っているのは、前者はほとんど話が通じないのに対し、後者は何とか話が通じるという点だ。

旧約聖書におけるヤハウェの残忍さは際立っており、カナン侵攻では住民の皆殺しを指示し、また、ユダヤの民が異教のシンボルである仔牛の像を礼拝したときなどは、預言者モーセに命じて「おのおの自分の兄弟、友、隣人を殺せ」と粛清を行わせている。

これはまだいいほうで、焚くべき香を間違えた者をそれだけの理由で焼き殺したり、エジプトに戻りたがる民への罰として荒野を40年間さまよわせたりと、ヤハウェを信仰するユダヤ民族に対しても容赦ない仕打ちをしている。

さらに、ヤハウェを裏切った場合の罰として、戦争を引き起こす、疫病を流行らせる、地に作物を実らせない、野獣が子どもを奪い取る、パンの備えを砕く、自分の息子や娘の肉を食べるようになる、町々を廃虚とする、敵の国に食い尽くされる……など、呪詛のような言葉が書き連ねられている。

容赦のない自然災害が反映された性格ではあろうが、不条理な暴力としかいえないものばかりで、この神をよく信仰しつづけられるなと逆に感心するばかりだ。




スサノオとジャイアン

一方、スサノオのほうは、大暴れして田畑を破壊したり、祭殿に大便をまき散らしたり、馬の皮をはいで死体を建物に投げ込んで機織り娘を殺してしまったり……と乱暴狼藉を働く一方で、母の国へ行きたいを泣いてダダをこねたり、クシナダヒメを助けるべくヤマタノオロチを打ち倒したりといった一面も見せる。

ヤハウェと同じく不条理な暴力を振るう存在なのだが、「ドラえもん」のジャイアンのようなガキ大将的なところもあり、どこか憎めない存在なのだ。

スサノオの娘・スセリヒメを妻に迎えたいという大国主に対し、スサノオが数々の試練を与える話も有名だが、それを乗り越えた大国主に対し「この野郎」と悪態をつきながらも結婚を許す場面などからは、荒々しさを持ちながらも話の通じる相手であることがうかがえる。

また、体毛を抜いて木に変えて全国に植林するという話が日本書紀にある。「スサノオ=嵐を神格化した存在」と考えるなら、嵐として田畑を破壊する一方で、防風林による嵐対策も指南していることになり、この二面性は大変興味深い。

太陽(=アマテラス)と嵐(=スサノオ)のバランスは豊穣な実りをもたらす

それから、スサノオと姉であるアマテラスの誓約(うけい)の話も印象的だ。これは、高天原を奪いにきたとアマテラスに疑われたスサノオが身の潔白を証明するため、互いの持ち物を交換して、そこから新たな神々を生み出すという話。

古事記と日本書紀で記述が少し異なっており解釈を難しくしているが、いずれにせよ、太陽(アマテラス)と嵐(スサノオ)が対となり、その交わりによって新たな生命が生まれてくる内容と考えていい。つまり、嵐は単なる破壊ではなく、晴天の状態と相まってバランスよく生じることで、生命を育む働きとなることを示している。

稲田では台風の後に稲が倒れてしまうことがあるが、多くの場合、倒れているのは田の中央部となる。周辺部は常日頃、風雨にさらされていて強くなっているから倒れにくいのだ。そのように、適度な嵐は植物の生きる力を鍛える試練として働くことがある。


画像©ウィキペディアより引用




「話せば分かる」という思いを捨てない日本人

ヤハウェとスサノオの性格の違いからは、日本人が自然災害の脅威をよく認識しつつも、さまざまな工夫・技術により対策し、被害をなんとか最小限にとどめてきたことにつながっているだろう。

また、自然災害を恐れる一方で、それがうまく働くと豊穣な実りをもたらしてくれることも日本人はよく知っていたようだ。

数年前、アフガニスタンの砂漠が日本の支援により見事に緑化されたことが話題になったが、これは現代のハイテクを駆使したのではなく、灌漑用水路と柳の木の植林によるもので、そこには日本の伝統的な技法が用いられていた。

そのように、日本人は古来、自然災害をただ恐れ忌避するのではなく、その性質をよく理解して対話し、工夫・技術により対策をとってきたことで、それを逆に豊穣な実りへつなげてきたのである。

荒ぶる神・スサノオが「話せば分かる」存在であるのは、そういうことだろう。そして、その自然観は日本人の優しさにもつながってくる。理不尽な行動をとってくる相手を前にしてもなお、「話せば分かる」という思いを捨てないとき、人は逆境にあってもなお優しくあれるのではないだろうか。


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(神谷充彦 ミステリーニュースステーションATLAS編集部)

 

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