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妖怪話のない土地
戦国時代に一向一揆というものが起こった。だいたい1400年代の半ばから1500代の半ば過ぎの、120年ちょっとの間に、主に今の近畿から北陸・東海地方で起こった、浄土真宗の門徒たちによる武装隆起とその後の土地支配体制のことである。
日本は古い国であるので、全国いたるところに、もののけや妖怪にまつわる昔話が残されている。
ところが、である。この戦国時代に一向一揆が盛んだった地域には、その妖怪・化け物話が無いか、極端に少ないのである。
たとえば私の故郷である、静岡県浜松市のある遠江国には、化け物の話は【しっぺい太郎】という話しかない。
しっぺい太郎の話は【うしおととら】など、マンガにも使われているのでご存じの方もいるかもしれないが、ヒヒ退治の話である。
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なぜ、この【しっぺい太郎】の話しか残っていないのかといえば、遠江の国は、隣の三河の国と同様に、浄土真宗が勢力を持っていた土地だからである。
では、なぜに一向宗が強かった地域に、妖怪話が少ないのだろうか?
実はこれと同じようなことは、ヨーロッパでもおこっている。キリスト教がローマ帝国の国教となり、さらにはゲルマン・スラブなどの諸民族とその国家に伝播していくにつれ、その土地土地や、部族などにあった民話・伝説は抹消されるか公には語られなくなった。
一神教の強烈な二元論の価値観は、それまでのゲルマン神話やスラブの伝説を悪魔的なものとして排除をしていった。あがらうものは、魔女として殺された。
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ちなみに魔女狩りと異端審問が猖獗(しょうけつ)を極めた15世紀は、各地に残っていたゲルマン神信仰のなかでも月の女神フレイアに対する信仰が復興し始めたときである。
日本人ならなんでもないお月さまを拝むということは、悪魔を拝むということになってしまうのであった。
ナチス・ドイツ総統であったアドルフ・ヒトラーは、ゲルマンの神は自然の神であり、対してユダヤのもたらした神は理性の神であると喝破した。
一向宗すなわち浄土真宗も、キリスト教ほどではないが、阿弥陀如来に対する強い帰依をもとめる宗教であり、多分に人造的な一神教的な匂いのする信仰である。
今でも、浄土真宗では門徒に家に神棚をおかないようにと、指示を出している。(宗教学では、浄土宗系の宗派を浄土教といい、他の仏教とは区別をしている)
徳川家康の宗教観が、はたしてどんなものであったのかは定かではないが、家康は若いころ三河の国の一向一揆に悩まされていたし、家臣である旗本たちにも浄土真宗の門徒が数多くいた。
家康が江戸に入府したとき、当然彼らもまた江戸へとやってきて定着をした。
強烈な信仰心と因習やしがらみから自由になった精神。新しい首都と時代を造ろうとする人々の矜持と心のたかぶり。これらがあいまったとき、山々や湖沼の薄闇のなかにしか生きられない妖怪は、白昼土手の上にひきずりだされ、なぶり殺しになったのではないだろうか。
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さて、では江戸の後身である東京の街には妖怪はいるのだろうか? という話である。
「東京にいることの最大の利点は、魂が自由であることだ」と作家の曽野綾子氏の言葉である。
氏は戦前からの東京っ子である。この「魂が自由である」という感覚は、地方から東京にくると実によくわかる感覚だという。
現在ネットなどでも話題になる都市伝説でも、幽霊や心霊スポットは腐るほどあるが、こと場所を東京に限ってみれば、幽霊などと比べて実体的な妖怪の話となると、【小さいおじさん】や【座敷童】ぐらいしか上がっていない。
妖怪が自然や人の心の不条理性の暗喩(メタファー)ならば、地縁血縁・因習から逃れた東京人もまた妖怪を知らず知らずのうちになぶり殺しにしてしまっていたのだろうか。
もし、また我々が社会の停滞をよしとして、魂の自由度を顧みなくなったとき、東京には妖怪が復権をするのだろうか。また、そんな東京でも平将門公は鎮守としてありつづけるのであろうか。
おりしもコロナ禍の今、熊本の妖怪アマビエが全国的にその存在を知られるようになった。苦しい時の神頼みとはいうが、とうとう妖怪頼みの時世になってしまったのだろうかと、不安に思う今である。
(光益公映 ミステリーニュースステーションATLAS編集部)