なぜ美少年アイドルは大物老女優に奪われてしまったのか

大女優の色情……

女はいつまで女であるのか?

この問いは昔からあるもので、有名な『大岡政談』に町奉行・大岡越前守が母親に「女はいつまで女であるのか」と問うたところ、母親は黙って火鉢の灰を火箸で掻いたというエピソードがある。

そう、女が女であるのは死んで灰になるまでなのである。

これを地でいった大女優がいた。

なぜ今、いきなりこんなことを書くかといえば、先ほどテレビで彼女の軌跡について語っていた俳優がいたからである。例によって、「いい人でした」「立派な方でした」といった美辞麗句のオンパレードであったが、彼女にはそれとは別の顔があった。

それは、男食いの顔である。

その彼女は、大正生まれで下積みから大スター、大御所といわれるまでに出世して、華々しく各界からいろいろな受賞もしているような、実績や知名度ともに芸能界のトップクラスの大女優であった。

普通はこのくらいの地位を手にしたならば、いかにどうしようもない芸能人であっても、多少は身を慎んで、落ち着くものなのであるが、彼女は違った。

70歳あたりを過ぎてから、俄然として女をむき出しにしたのであった。

何をしたか掻い摘んで言えば、若い美少年系のアイドルたちを食ったのである。それも複数名を貪り食ったのである。食うというのは、要するに床入したということである。

対象となったのは、日本の芸能界において、隠然たる影響力をもつ、A事務所のアイドルたちであった。彼女が、いわゆる恋多き女であったということは、世間に広く知られていたことではあるが、70歳も過ぎてから、50歳近くも歳の離れた美少年たちと仲むつまじく食事をしたり、遊びに行ったりする有様は、当時のマスコミでも度々ネタに上げられていた。

芸能界ってそんなもんなんだよ!

だがマスコミはなぜか、その裏にある事実を報道することはなかった。

すると、彼女の要求はだんだんエスカレートして、とうとう当時のピンの稼ぎ頭の少年Bとの関係を求めてた。

私は、A事務所ほどの強大な芸能事務所が、なぜあんなお年寄りひとりに逆らうことが出来ず、まるで「生贄」のように自社のタレントを提供していたのか不思議でならなかった。

だが、A事務所と政治家との関係、さらには日本の芸能界にも大きな影を落としている、国際的な友愛団体との関係を教えられて納得をした。彼女もまた、戦後期にその友愛団体と極めて近しい関係を築いていたのであった。

それはさておき、彼女に白羽の矢を立てられてしまったBのことである。

彼は悲鳴を上げた。……まあ、上げるだろう、普通は。

好きでもないおばあさん女優と寝ろと命じられたのである。当然、彼は社長にも、関係各所にも助けを求めたが、取りつく島もない対応だったという。

とうとう、Bは事務所の先輩で、すでに彼女のモノになっていたCに「お願いです。助けてください」と泣きついて懇願した。

すると、Cはカワイイ後輩Bの肩を叩いてこういったそうである。

「うん、分かるよ。つらいよな。でもさぁ、芸能界ってそんなもんだろ?」

数日後Cは、泣く泣く大女優とベッドを共にしたそうである。

私はこの話を、ナントカ砲で有名な出版社の方から聞かされたのだが、このことを知ってからBのことが心から気の毒でしょうがなくなった。と、同時によくぞヤッタものだと関心もした。

何はともあれ、彼女も既に鬼籍に入り、こんな話も昔話になってしまった。時の経つのは早いなぁと、お盆の頃にふと思ったのであった。

(ヴァールハイト及部 ミステリーニュースステーションATLAS編集部)

画像©Free-Photos PIXABAY

【著者紹介:ヴァールハイト及部 1968年 横浜市出身 大学卒業後サラリーマン生活を経て、フリーランスとして、映画・ショービジネス界で仕事をしている。芸能界ウォッチーでもある。】

 

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