なぜ江戸の市民は妖怪を殺しつづけたのか?【前編】

画像©Maarten1979

なぜ箱根の山を越えると化け物はいないのか?

みなさんは江戸の妖怪、あるいは東京の妖怪というと、どんなものを連想されるであろうか。

私は以前、東京の妖怪について調べてみてくれ、という出版系の依頼があったので調べてみたことがある。江戸時代は文字文化が爛熟した時代であり、将軍家おひざ元の江戸の町について、事件や事故、芸能グルメ、町に住む人々の人情に関するものなど、おびただしい記録が残っている。

なかでも、江戸町奉行・勘定奉行を歴任した旗本、根岸鎮衛が記録した【耳嚢・みみぶくろ】は有名で、その多くは怪奇譚なのだが、読んでみておどろいた。

たしかに怪奇な話はたくさん載っているが、肝心の妖怪がほとんど出てこないのである。大きなガマガエルとか、人の言葉をしゃべる猫の話はあるのだが、これはいわゆる妖怪とはだいぶ違うものである。


画像©小太郎wan photoAC

唯一、妖怪らしい妖怪は河童であった。この河童の話が三つだけあるのだが、その話たるやこれまた妖怪話や怪談とはだいぶおもむきが違っているのである。

まず一つ目は、「隅田川の土手の上に人だかりがしているので、覗いてみると人の輪の中に人に似た何かが転がっていた。そのうちの一人に聞いてみると、これは河童で、通りがかった老若男女で引きずり上げて、なぶり殺しにしたものです」と、答えた。

二つ目は、隅田川の土手の上を歩いていると、手に手にこん棒や刃物をもった人々が群れている。近づいてみると、川から引きずり上げられた河童が殺されかかっていた。かわいそうに思い、みんなに言って助けてやると、泣いて喜び「もう二度と悪さをしません」と、侘び証文を書いてよこした。

三つ目は、尾張藩の下屋敷の近くを通りかかると、町人や侍たちが集まって大騒ぎをしている。見てみると堀の中に河童がいてみんなで追いかけて殺そうとしていた。河童はすばしっこく逃げ回るので、とうとう尾張藩の侍が鉄砲を撃って仕留めた。堀から引き揚げて河童のというものをよく見てみた。




いかがであろうか。

なにかもう、妖怪なんかより江戸の人間のほうが、よっぽど凶暴な存在に思われてくるではないか。別にけなしているわけではないのだが、この荒々しさは、江戸に限らず関東全域に特徴づけられるものである。

関東は開拓民の土地であり、相続と水争いが絶えない土地柄でもあり、開拓農民はみな武装をして武士と呼ばれるものになっていった。戦国の末期に織田信長が兵農分離をおこない、関東の後北条氏もこれにならったため一応身分の区別はあったが、ほかの地域に比べて闘争的な気風は色濃く残った。


画像©National Museum of Denmark

日本でこれに匹敵する闘争性を持った土地は、九州だけである。

この気風は今でも結構残っていて、関西から東京の高校に転校してきた女の子たちは、まず、クラスメイトの女子たちの人当たりのキツサに辟易するという。

私自身も静岡県から中学生の時に世田谷区に引っ越してきたのだが、地元の中学生が随分と荒っぽいのに驚いたことがあった。(現在、東京都民のうち東京生まれ、東京育ちの人は約4割であり、それに関東一円からの移動居住者をいれると東京は、やはり日本の首都以前に関東の首都なのである)




さて、この荒々しい関東人たちが、徳川家康の江戸への転封にともなう大土木工事の労働力として、大挙して江戸へとやってきた。この時家康がこの労働者たちに支払っていた日当は、当時の全国の相場の倍以上であったため、それにひかれて益益の人数が江戸へ江戸へと押しかけてくることになった。

大阪の豊臣家が滅び、天下泰平になっても江戸への人口の流入は延々と幕末までつづいた。彼等はみな、生まれ故郷の地縁・血縁から悪く言えば引きはがされ、よく言えば解放されていた。

そこには当然、合理的ものの考え方と、乾いた人間関係が成立をしたのである。しかも町は巨大な都市になるべく、日々変化をすることをやめない。

これは妖怪の生息する条件としては、大変によろしくないものであったろう。


画像©美樹子 柳澤 PIXABAY

平将門公と妖怪

江戸の総鎮守は神田明神こと平将門公である。前にこのシリーズで書いたが、日本三大怨霊で強力な祟り神の一柱であられた。

はたして、『あられた』と過去形で書いていいものかは、なかなか難しいところではあるが、とにかく恐ろしい神様であり、関東以外の人間なら、間違っても総鎮守をお願いしたり、氏子になろうとは思わない方である。

「箱根の山からこちらっ川側には化け物は出ねえんでえ」という、江戸っ子の啖呵も、この恐るべき神様が鎮座なさっているから、その他の有象無象の化け物妖怪の類は、恐れおののいて江戸には入れない。つまりは、古い因習やしがらみから解放された、新しい徳川体制へ参加する高ぶった心意気の表れだったのだ思う。

妖怪を川から引きずり出して、なぶり殺しにするという物語も一つとして、新しい時代に踏み出していく人々が作り上げた暗喩(メタファー)なのであろう。

そて、江戸に妖怪がいないという理由の一つが神道の神田明神信仰だとして、実は仏教の方からの理由がうかがわれる。次回は、そのあたりのことを考えてみたい。(後編に続く)

(光益公映 ミステリーニュースステーションATLAS編集部)

 

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