なぜ日本人は“武芸”と“舞芸”をつなげたのか【前編】

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芸と技術と日常と

その著書【アーロン収容所】で知られる、京都大学人文学研究所の教授であった、会田雄二氏の考察に面白いものがある。

氏は大戦中に帝国陸軍の一兵士としてビルマにおもむき、白骨街道といわれ日本軍が壊滅したインオパール作戦に参加していた。(ちなみに私の母、光益八重子・旧姓溝口八重子も日本赤十字の従軍看護婦としてこの戦いに文字通り従軍していた)

その軍隊経験から日本軍の兵士がおこなう突撃の姿勢と、欧米人のそれとを比較したものである。

結論からいえば、日本軍の突撃の姿勢は世界に類を見ない低姿勢でおこなわれるというものであり、これは百姓が鍬を持ち、土を耕す姿勢そのものであるというのだ。

なるほど、日本の農業はほかの地域にくらべて家畜の力を使うことがむずかしい、狭い田んぼと畑でおこなわれる。いきおい背中かがめて腰をおった姿勢での作業となってしまう。

第二次大戦直前、日本の人口の七割以上が百姓であった。当然、帝国陸軍の兵士たちも百姓がほとんどであった。したがってイザというときに自分たちの、日常の体使いがでてしまうのだろう。

たしかに映画などで見る欧米人の突撃姿勢は、背筋を伸ばした直立でおこなわれているではないか。





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舞と剣

ところが、である。

やったことのある方ならすぐにおわかりいただけるだろうが、日本の武道、剣道・柔道・空手・合気道は、みな背筋をピンと伸ばした姿勢でおこなわれる。背中を丸めていいものはただの一つもない。

唯一弓に関して、馬に乗る騎射・流鏑馬(やぶさめ)に比べて、地面に立ってする一般の弓道は、いささか背中が丸まり前傾姿勢になるのだそうで、これは流鏑馬をやる人が見るとすぐにわかるという。

私も古武道を経験しているのでよくわかるのだが、姿勢が崩れるとまず対峙する敵への行動の自由が失われ、敵の動きにあわせて機敏に動けないし、力が入らない。

つまり、日本人の日常の体の使いかたでは個人同士の戦いは、ちょっとツライことになる。と、いうか向いていない。

同じように姿勢が崩れるとできなくなるものが一つある。

舞である。舞というものは舞踊の中でも旋回運動をするものの総称であり、代表として能がある。

さて、この武道と能だが、能はすり足で背筋を伸ばさなければ舞うことができない。武道もまた戦後の現代剣道を唯一の例外として、すり足でおこなわれる。


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そして、歩き方(歩方)だがある面白い関係がある。

能の金春流と、時代劇でおなじみの剣の柳生新陰流は歩方がまったく同じなのである。歩方とは足の運び方はもちろん、周り方座り方、そして膝の立て方などがふくまれている。

じゃあ、日本の戦闘従事者、武士や足軽たちはひごろからすり足で歩いていたのかというとそうではない。

応仁の乱において、はじめて非武士階級の常備戦闘員となった足軽たちは、半足(あしなが)とよばれる奇妙な藁草履あるいは竹草履をはいていた。

どう奇妙かといえば、草履のかかとの部分がないのである。

ゆえに半足という字をあてるのだが、これはつま先で歩くという長距離の歩行と俊敏性にとんだ歩方を必要とする。織田信長は自軍の足軽には全員この半足をはかせて機動力を増していたのである。

では、なぜすり足の武芸と舞があらわれたのだろうか。





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能の歴史は古い。

あまりに古すぎて、いったいいつ始まったのかがわからなくなっている。特に大和の国で生まれ、はぐくまれた金春流は現在の家元で、実に八十代目をかぞえている。

意外なのは、元は猿楽と呼ばれていたものが明治になってから能と呼ばれるようになったということである。

猿楽はもともと農業にかかわる神事が起源であるとされ、寺社仏閣の庇護をえて暮らしを立てていたが、室町時代末期から徐々に武家社会に近づき、観世流の世阿弥と観阿弥が織田信長に好まれ、豊臣秀吉が金春流をならっったことにより完全に武士のたしなみごととなった。

武との関わり合いはこのころ起こったのだろう。

ちょうど戦いの時代が終わりはじめ、茶の湯が隆盛を極め、新しい文化が芽生えたときである。


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芸と術と道

今日われわれは何のためらいもなく武道という言葉を使っているが、これは以前武術と呼ばれていた。

武道という言葉を使い始めたのはねご存じ柔道の創始者である加納治五郎からである。狭く小さな術ではなく、広く全ての人に開かれた道であるとは、いかにも明治らしい爽快感のある命名である。(そうであるがゆえに、古い殺し技などを伝承する古武道の流派の多くは道ではなく今でも術の字を好んで使う)

さらに古くなるとこれは武芸と呼ばれていた。

武芸を行うものは芸者といわれた。

なにか少しさげすんだような響きのある言葉であるとは感じられないだろうか。そのとおり、軽んじられていたのである。

次回はその軽んじられた芸について書いてみたい。(【後編】に続く)

(光益公映 ミステリーニュースステーションATLAS編集部)

 

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