さらば、石原軍団!豪放磊落かつ温情あふれた尊敬すべき男たち

石原プロという奇跡
 
芸能界にはあまたの芸能事務所がある。大きいもの小さいもの、強いところ弱いところ。悪いところと、まあ悪くないところ等々……。

その中において石原プロモーション(以下 石原プロ)は、異色の事務所ではあった。創設者は日本映画の黄金期に大スターであった、石原裕次郎氏である。

当時の日本映画界は五社協定というトラストがあり、映画俳優は各映画会社に所属をしており、その縛りは実に厳しかった。




裕次郎氏は日活所属の青春大スターで、かなりの厚遇をうけていたが、俳優が主体的にマネジメントと映画製作をするための独立プロダクションを設立した。実に革新的なことではあったが、守旧派の五つの映画会社はこれを許さず、裕次郎氏を干した。

また石原プロ制作のその第二作目となった映画『黒部の太陽』の撮影に関しても、映画会社は所属俳優をただの一人も参加させなかった。

スターの座から一転して彼は苦境におちいったが、三船敏郎氏と宇野重吉氏という、人気スターと演劇界の重鎮の協力を得て、そんな苦境を見事に乗り切り日本の映画芸能界での地位を不動のものとした。

なぜそんなことができたのかということに関しては、実に根深い理由があるのだが、さすがにここで書けるレベルの話ではない。とはいえ、石原プロは、そこで一緒に仕事をした人間たちにはおおむね評判の良い会社であったようだ。というのも、なによりも金離れがよかったことから、俳優や裏方たちからその点大いに喜ばれていたからである。

その石原プロが、会社解散をする。リーダーだった裕次郎氏が亡くなってからも、残された俳優たちでここまでやってきたが、ついに裕次郎氏の34回忌をけじめに会社をたたむ。

私は裕次郎氏とは面識はないのだが、その評判は聞いている。ただし、芸能界の人からのものではない。




人をおとしめない心

裕次郎氏の邸宅は世田谷区の成城にある。どんなところかといえば、日本最高の高級住宅街の三本の指にはいるところで、見渡すかぎり豪邸が立ち並んである。

以前、私はここを管轄区とする世田谷区砧清掃事務所でゴミの収集作業に携わっていた人たちに話を聞いたことがあるのだ。

著名人が多く住む世田谷区の、そのまた成城で、ゴミの収集車が来ても対応するのは家政婦さんばかりなのだが(砧清掃事務所ではこの通りのことを召使通りと呼んでいた)、毎年正月、その年最初のゴミ収集に訪れると、着物姿の裕次郎氏が待っていて、「やっ、今年もよろしくお願いしますね」と、にこやかに挨拶をしてくれて、石原プロの金杯と金一封をくれるのが恒例になっていたという。

「そんな人、他にはただの一人もいませんでしたよ」と、昔を懐かしんで、今は退職をした作業員の方は語ってくれた。

会社の社長がこうなので、部下のスターさんたちもそれにならって、別の区に住んでいる渡哲也氏もゴミの収集にくる作業員さんたちに実に丁寧な対応をしてくださっているという。

先に書いたとおり、芸能界には強大なプロダクションというものがあり、そこに身を置く人間は往々にして横柄であるのだが、石原プロの人たちは下の者たちには本当に優しい会社であった。

会社解散後は、渡氏が新たにプロダクションを立ち上げて、そこにいくらかの俳優さんたちが所属をするという。どうか、大将のご威光が薄れてきた今、イヤな連中に干されるようなことがないようにと心から祈っている次第である。

石原プロモーション、どうもありがとうございました。

(ヴァールハイト及部 ミステリーニュースステーションATLAS編集部)

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【著者紹介:ヴァールハルト及部 1968年 横浜市出身 大学卒業後サラリーマン生活を経て、フリーランスとして、映画・ショービジネス界で仕事をしている。芸能界ウォッチーでもある。】

 

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