没後120年「江戸落語中興の祖」三遊亭圓朝と「幻の二代目」

今年、2020年は「江戸落語中興の祖」と言われた三遊亭圓朝(さんゆうてい・えんちょう 1839~1900)の没後120年となる年である。

三遊亭圓朝とは、『笑点』でおなじみの三遊亭円楽をはじめとする「三遊亭○○」の総帥の名前である一方、現在に伝わっている古典落語のスタンダートである「死神」や「文七元結」「鰍沢」などは圓朝自身が創作もしくは発掘した演目であり、また命日である8月11日前後には「圓朝祭り」という圓朝の功績を称える落語のお祭りが毎年行われている、まさに「落語の神様」なのである。


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神様の名前故か、「三遊亭圓朝」を名乗る落語家は現在まで襲名されておらず、名実共に「圓朝の前に圓朝なし、圓朝の後に圓朝なし」という状態が続いている。

だが、圓朝が亡くなって20年ほどが経過した大正時代(1912~1926)の末期、実は幻の「二代目・三遊亭圓朝」が誕生していたのである。




「幻の圓朝」こと二代目の名前を継いだのは、初代・三遊亭圓右(さんゆうてい・えんう 1860~1924)という落語家であった。

『古今東西落語家辞典』などによると、全盛期の円右は「唐茄子屋」「火事息子」「包丁」といった威勢のいい落語を得意としたという。また、圓朝の一門ではあったものの、直弟子ではなく2代目三遊亭圓橘(さんゆうてい・えんきつ)の弟子で、圓朝にとって円右は孫弟子にあたる。

だが、圓右は落語家になる前から圓朝のお囃子を担当し楽屋に出入りするなど、圓朝から非常に可愛がられた存在であることは確かであろう。

1900年に圓朝が亡くなり、その名跡は弟子のうち誰かが襲名することになった。

だが、「圓朝四天王」と呼ばれた噺家のうち、初代三遊亭圓馬(さんゆうてい・えんば)、3代目三遊亭圓生(さんゆうてい・えんしょう)は既に故人で、4代目三遊亭圓生は大きな名前を継いだばかり。また、「圓朝の芸の継承者」とも呼ばれた若手の4代目橘家圓喬はテクニックにおいては文句なしだったが、性格に難ありで人望がなく、圓朝を襲名できずに亡くなってしまった。

そして時代は明治を超え大正時代へ入った。関東大震災(1923年)によって、東京の町は壊滅。また気が付いてみたら圓朝が亡くなってから30年余りが経過しており、圓朝の直弟子はおろか、孫弟子世代までもが鬼籍に入りつつあった。

そんななか、「圓朝の名を途絶えさせてはならない」と関係者が動き、圓朝の27回忌の1924年8月11日。最も可愛がられた孫弟子の三遊亭圓右が三遊亭圓朝の名前を継ぐことになったのだ。

「神様」の襲名なので当然、襲名披露は大規模なものになる。

64歳の圓右は10月の圓朝襲名披露の鋭気を養うため、長野県は軽井沢へ避暑へ出かけた。

しかし、この軽井沢行きが落語界の未来を大きく変えてしまう。円右は軽井沢で風邪をひき、肺炎を起こしてしまったのだ。

圓朝襲名披露は間近に迫っていたが、円右の体調は良くならず、披露興行は中止になり、1926年10月24日、円右の自宅にて「二代目・三遊亭圓朝襲名」の襲名式が行われた。

当時、このニュースを報じた「都新聞」1926年10月26日号によると、「周囲の希望により襲名式が行われた」との記載があるほか、都新聞記者による「二世圓朝の芸に接することはできないかもしれない」といったリポートもあり、既にこの時、円右の意識はほぼ無かったようである。

そして、そして11月2日、三遊亭円右こと二代目・三遊亭圓朝はこの世を去った。




二代目圓朝は一度も高座に上がることはなかったが、10日の間ではあるが、圓朝の名跡を復活させたのである。

なお、余談ではあるが、三遊亭円右こと二代目・三遊亭圓朝の門下には、(後に一門から抜けているが)新作落語で一世を風靡した5代目古今亭今輔(ここんてい・いますけ)がおり、三遊亭円右の名前は今輔の弟子が後年襲名している。


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また、5代目古今亭今輔の弟子で最も有名な落語家といえば、『笑点』の司会を務めた桂歌丸である。

系譜を見れば桂歌丸は、二代目・三遊亭圓朝の孫弟子筋にあたるのだが、桂歌丸は生前、「真景累ヶ淵」、「牡丹灯籠」といった三遊亭圓朝作の怪談や落語の口演をライフワークにしていた。

歌丸は自分の芸のルーツには「幻の圓朝」がいたことを自覚し、圓朝作の落語に取り組んでいたのかもしれない。

さて、「幻の圓朝」の襲名からそろそろ100年が経とうとしている。

現代の落語界は、古今亭志ん生、三遊亭圓生といった大名跡が塩漬けになっている一方、2021年には大名跡の春風亭柳枝(しゅんぷうてい・りゅうし)が61年ぶりに復活。講談の世界ではあるが、平成末期にテレビ・ラジオにと大活躍していた神田松之丞が六代目神田伯山を44年ぶりに襲名するなど、ここ数年、演芸の世界においての名跡の復活は活発となりつつある。

また、圓朝の名前にしても、1990年代後期には、圓朝の名跡を預かっている一族が当時の人気落語家である春風亭小朝に対し「三遊亭圓朝襲名を打診した」という事実が明らかになったりと、三代目・三遊亭圓朝が今の演芸界に颯爽と登場する日もそう遠くないのかもしれない。

初代・二代目含めて三遊亭圓朝の高座を見た人が既にこの世にいない今、自分の生きている間に「圓朝の高座」に触れられる機会があれば、いち演芸ファンとして、これほど幸せなことはないだろう。

時の名人・三代目柳家小さんを絶賛した夏目漱石ではないが、「三代目・圓朝と時を同じくして生きている我々は大変な仕合せである」と言える日が来ることを心から期待したい。

(文:穂積昭雪 ミステリーニュースステーション・ATLAS編集部)

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