河童徳利はいずこへ!?

日本全国各地で未だに伝説として受け継がれている、日本を代表する妖怪と言えば河童である。かつては人間にとって身近な存在であったが、戦後にはいつの間にやら目撃例がなくなったと言われている。

筆者の地元でも河童伝説が残っているが、今時は地元民でも知らない者もざらにいる。昭和から親しまれていたアニメ「まんが日本昔ばなし」でも放送された「河童徳利」という伝説である。

この伝説は1831(天保2)年に山田桂翁により編纂された『宝暦現来集』に、鎌倉時代の出来事として記されている。現代では三堀五郎兵衛が主人公とされているが、実はその先祖である三輪堀五郎左衛門の話だった。

神奈川県茅ヶ崎市西久保が舞台である。五郎兵衛という翁が住んでおり、働き者で馬と酒を愛していた。夏の暑い中で働き終えた夕方に、水浴びさせていた馬が川の中に引きずり込まれそうになったのだ。なんと河童が馬の尻にがぶりついていた。




村人達に助けを求め、河童は懲らしめに遭い木にくくりつけられた。河童は五郎兵衛に許しを請うた。馬を襲ったのは河童にも妻と子がいたためだと言う。河童は尻の穴から尻子玉を抜いて食料にすると言われている。同情した五郎兵衛は、もうしないと約束させて縄をほどいてやった。

その晩、河童がお礼に魚2匹と徳利を持って訪ねてきた。この徳利からは無限に酒が出てくるのだ。ただし、底を3回叩くと二度と出なくなると告げた。それが返って仇となってしまったのか、五郎兵衛は毎日仕事も馬の世話もしなくなり一日中飲んだくれた。

痩せ細った馬を見て我に返った五郎兵衛は、徳利の底を叩いてまた仕事をやるようになった。この徳利は未だに大事にとってあるそうだ。

関連動画
日本昔話「河童徳利」

河童徳利伝説の舞台となった川とゆかりの寺に、実家から歩いて行けた。河童が出たと言われた小出川(旧・間門川)には、以前「間門川伝説かっぱどっくり発祥の地」という立て看板が建てられていたそうだが現在工事中のため取り外されていた。(立て看板は、「河童徳利保存会」により保管されている。)河童がいた面影はもう残っていなかった。

川から円蔵まで歩いて行くと、輪光寺というお寺がある。境内に入ると愛嬌ある河童の像が2匹で甕に浸かっていた。「うたかたを川の精霊や獺祭 飯田九一」と刻まれた石碑の裏側へ廻ると、河童徳利伝説の話が詳しく記してあった。

「川の精霊」は河童のことであろう。ちなみに獺祭とは川獺が魚を岸に並べることから春に使う季語である。この銘酒の名前にも使われている季語が、見事な一句として読まれている。




大山街道で名物として飾られ「神奈川県民政資料展覧会」にも出された徳利であったが、関東大震災・太平洋戦争という激動の中行方不明になったこともあった。

かつて横浜にいた五郎兵衛の子孫である故・三堀ウタさんから、妹にあたる故・セキさんの嫁ぎ先で円蔵にある小室家に譲られたことが石碑の裏側に刻まれていた。それは1967(昭和42)年、河童徳利が茅ヶ崎に戻ってきた記念碑としてあるのだった。

現在の三堀家は河童徳利も一緒に、静岡県榛原郡川根本町千頭に移転されている。智満寺には河童徳利の碑が建てられており、五郎兵衛の墓も移転されここに眠っている。

舞台となった場所から大きく離れてしまったが、伝説の徳利が未だに現存し子孫繁栄している事実と共に神秘と可能性も残り続けることであろう。

(文:ふりーらいたー古都奈 画像:ふりーらいたー古都奈 2020年6月9日撮影)

参考サイト
新湘南風土記Shonan Walkers Magazine 2020【4.間門川(まかどがわ)の河童徳利/(茅ヶ崎市・大曲)】
まち景活動日誌 湘南・茅ヶ崎が、住みよいステキなまちになるように 民話「河童徳利」の五郎兵衛さんと縁続きの三堀さんにインタビュー
まち景活動日誌 湘南・茅ヶ崎が、住みよいステキなまちになるように『懐島プロジェクト活動報告 13号』を発行
タウンニュース茅ヶ崎版 伝統民話河童徳利ルーツ知り地域活性を かっぱどっくりグループが静岡県榛原(はいばら)郡川根本町を視察
かっぱどっくりグループ かっぱどっくりのルーツを探る 河童は民話の世界の動物ですが、徳利は実在する!?

 

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