日本人はなぜ汚い茶碗を国宝にしたのか(上)

画像©Wikipedia

キレイは汚い・汚いは綺麗?

まずは上の写真をご覧いただきたい。

これは国宝【大井戸茶碗 喜左衛門・おおいどちゃわん きざえもん】という茶碗である。喜左衛門というのは、この茶碗を最初に所有していた、安土桃山時代の大坂の豪商・竹田喜左衛門という人の名前から由来している。

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ところで皆さんは、この茶碗の写真を見てどう思われますか? さすが国宝だ美しいと思いましたか? まあ、そうではないでしょう。

はっきり言って、汚らしい茶碗だと思われたのではないですか?

ええ、それでかまいません。この茶碗は視覚的には汚いのです。

そもそもが、美術・工芸品でもなければ、芸術作品でもありません。李氏朝鮮時代に適当に作られた、庶民・農民たちの普段使い用の雑器なのです。

汚くて当たり前の物なのです。

では、いったい何だって我々日本人は、放っておいたらゴミとして捨てられていたにちがいない、小汚い朝鮮の茶碗を国の宝にしているのでしょうか?




この茶碗が日本に渡ってきたのは安土桃山時代です。

もし、これがそれ以前の時代、例えば平安時代に貴族たちの目にとまっていたとしたら、間違いなく汚い茶碗として捨てさられていたでしょう。


画像©Ikusuki

そうならなかったのには、もちろん訳があり、それは価値の一大大転換をもたらした茶道というものでした。

と、まあ、このあたりまでは一般的な美術の解説なのですが、避けて通れないので書いておきます。

ちなみに茶道というと皆さんはすぐに千利休という人を思いうかべると思います。歴史の教科書でも一番に出てきますし、それはそれでいいのですが、茶道というものは別に千利休が創設したわけではありません。(※千家三派の、表千家・裏千家・武者小路千家ではそのように取れるよう喧伝していますが、これは歴史文献学的にあやまりであり、なにかのプロバガンダです)

ことの始めは医学と娯楽

茶道は日宋・日明貿易が頻繁におこなわれるようになり、茶という物と、茶をいれるために必要ないくつもの道具がおびただしく日本に流れ込み、支配層・富裕層・知識層といった人々の間でまず医療として(茶は豊富な栄養素と後から述べる理由によって妙薬とされました)、続いて娯楽として楽しまれるようになったものが、ゆるゆると形式化していったものです。

集大成として、織田信長から豊臣秀吉が君臨した時代に幾人かの茶人といわれる人々により、ほぼ完成形を見るようになりました。


画像©Yuya Tamai

茶道は英語ではtea ceremony(ティー・セレモニー)などとも訳されますが、千利休は秀吉の茶頭、つまりtea・ceremonyを統括する儀典官としてそのルールやプロトコールを制定しました。

ここで絶対に忘れてはいけないことは「茶は薬品であった」ということです。

茶にはいろんな効用がありますが、最大の物はカフェインによる覚醒効果です。ちょっとヒドイ言い方かもしれませんが、これは覚醒剤のようなものでした。

まさかと思われる方もいるかもしれませんが、茶が現れる以前には、酩酊する酒はあっても覚醒する飲み物など存在しなかったのです。




これは日本だけではなく、ヨーロッパも同じで東洋から茶が、つづいてオスマン帝国経由でコーヒーがやってくるまでは、ビールとワインしか飲み物らしい飲み物はありませんでした。


画像©quinn.anya

歴史の本をみると、中世ヨーロッパでは北では朝からビールを飲み、南のブドウのとれる文化圏ではワインを飲んでいます(高緯度に位置する西ヨーロッパ以北では、耕地あたりの農業生産力がとても低い。そこで麦の栄養をを一番無駄なく摂取できる手段、つまりビール化が広がったのでした)。

もちろん昼も飲むし、夜も飲みます。このため中世の白人たちは皆、殆ど一日中少し酔っぱらって過ごしていたのです。

そこにやってきたのがカフェインがガッツリ入った茶でした。

このことは日本でも似ていて(日本人は朝から酒なんか飲みませんでしたが)、目はパッチリ、心はギンギンに高ぶってしまったのです。

この覚醒作用というものがわからないと茶道と、そこから生まれた茶道の美意識はわからないと思います。ちなみにヨーロッパでも日本ほどではありませんが、teaの道具とマナーが出現し発展しました。

さて、次はその覚醒してギンギンになった我らのご先祖様たちが見出した美意識について語っていきたいと思います。(下に続く)


画像©paulscott56

(光益 公映 ミステリーニュースステーションATLAS編集部)

 

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