なぜ日本人は怨霊にやさしいのか?(下)

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なぜ日本人は怨霊にやさしいのか?(上)から続く

和歌からみえる人となり

大怨霊と言われる平将門と菅原道真だが、二人がよんで、今日に残る和歌を二つみていただきたい。

まず、平将門 『よそにても 風の便りに 吾そ問ふ 枝離れたる 花の宿りを』(遠く離れていても風に運ばれた香りによって、枝を離れて散った花のありかをたずね求めることができます)。

そして、有名な菅原道真の和歌『こちふかば 匂ひおこせよ梅の花 あるじなしとて春な忘れそ』(東風が吹いたら、匂いを送りよこしてしておくれよ、梅の花。主がいないからといって、春を忘れるなよ)。

平の将門の和歌は、彼が起こした反乱のおり、捕らえた敵将の平貞盛の妻と源扶の妻たちに着物を与えて夫の元に逃がしてあげたときによんだものだという。つまり、花の香りと人のうわさを掛けて、それをたよりに夫の元にかえりなさいという意である。

そして菅原道真の和歌は、彼が失脚させられ右大臣の地位をうばわれて、大宰府に流された時のものである。

いかがだろか、みなさん。これが敵であれ、世を呪い殺す悪逆な怨霊となる人の和歌だと思われるだろうか。


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共感性と義憤と

『文は人なり』という言葉がある。

普通に文章を書いても、その人の性格なんかはあらわれる。特に悪意やササクレだったものは浮かび上がってしまう。

いわんや【敷島の道】といわれる和歌である。その心根はおのずとあらわれる。

平将門は、自身の欲望というよりも、周りにいた開拓自営の農民であった、武士たちの窮状を救うために挙兵をした。つまり自分と同じものたちの悲しみや苦しみ、喜びも共にしようとする他者に対しての共感性が強かったのだ。

周囲もそれがわかればこそ、大将として付き従い、親しみ、そして戦いに敗れ戦死したのちにも神として祭ったのではないか。坂東の伝統を引き継ぐ、神田明神のお祭りを見るにつけそう思わずにはいられない。

一方の菅原道真もまた、心優しく共感性の高い人だったのではないだろうか。

稀代の秀才で教養人であった彼が、右大臣としておこなった政治改革は、やはり多くは大衆のためのものであった。歴史的に有名な遣唐使の廃止も、嵐の季節に出航をせざるえなかった、乗組員への深い憐れみと義憤が大きな動機であったのだとおもう。

菅原道真が、もし本当に後世にいわれるような邪な祟り神となる人であったならば、都に残してきた庭の紅梅ににこんな語りかけをできるだろうか。


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案外に普遍的な価値観かもしれない

私はこの記事のはじめで、日本の文化の根には、よくも悪くも、人はみな同じという強い同調圧力がかかっているといった。繰り返すが、同調とは共感する知力と根っ子は一緒である。神も仏も怨霊も我々はみな同じ日本人としての価値観とやさしさをあわせもっている。

自身、無教会派のキリスト教徒であった山本七平氏は、これを【日本教】という言葉であらわし、【日本教について】という本も書いている。

キリスト教の新約聖書には『汝、汝自身を愛するがごとく、汝の隣人を愛せよ』という教えがある。

人は自身を愛するということは、生まれつきに何よりもよく知っている。だったら、それを他人にも施しなさい。それこそが神の指し示す道だということを説いているのだ。

あまりにも日本的な同族に対する共感性と同調圧力は、案外人類共通の価値観というものにつながっているのかもしれない。

(光益光映 ミステリーニュースステーションATLAS編集部)

 

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