古川の砦の夜泣き石
織田信長の配下で河内の国を統治していた飯盛山城主の畠山次郎昭高。
信長が近江で浅井・朝倉の連合軍と一大決戦に臨んでいた頃、四国から強力な三好の兵が砦を攻めてきた。
守る畠山軍は守る兵力250期しかおらず、懸命に戦ったが全員討ち死にしてしまい、敗れてしまった。
戦死したひとりの武将の妻は、亡き夫の姿を求め砦のほとりで幾日も泣き伏し、いつの間にか石となってしまった。
石と化した妻は、毎夜毎夜夫を呼ぶように泣くので「夜泣き石」と呼ばれるようになった。
後年、この石は秀吉による大阪城築城の石垣に使ったとされる。
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