日本人の宗教的感性は万神を融和させる 欧米人が理解できない日本人の宗教観②

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前編よりつづく

欧米の宗教的不寛容、日本の宗教的寛容

前回の記事(日本人は無宗教? 欧米人が理解できない日本人の宗教観①)で、欧米人の宗教的不寛容について触れたが、それに対して日本は寛容すぎるほど寛容といっていいだろう。

神仏混交という言葉が示す通り、日本では神道の神々と仏教の仏たちはほとんど区別されることなく、混然一体として信仰されてきた。

神仏混交は、日本への仏教伝来の初期に仏を「蕃神(となりのくにのかみ)」として認識したことに始まり、神社に付属する寺院としての「神宮寺」、仏教寺院に付属する神社としての「鎮守社」なども数多く建造。また、神道とつながりの深い天皇家も明治になるまでは仏教の信仰を持っていた。

さらに、日本の神と仏教の仏が同一存在の異なる姿であるという「本地垂迹説」あるいは「神本仏迹説」が唱えられ宗教理論的にも整理をつけられた。たとえば、天照大神と大日如来、八幡神と阿弥陀如来、大国主神と大黒天は同一である、とされている。

そういうわけで、かつての日本には神社なのか寺院なのか判然としない宗教施設が数多く存在していたが、明治期に神仏判然令(神仏分離令)が発布されたことで、神社は神社、寺院は寺院とはっきり分けられることになる。

とはいえ、今でも区別の難しい宗教施設があるのも事実。稲荷を例に挙げると、伏見稲荷のような神道系の施設がある一方で、豊川稲荷のような仏教系の施設も存在するなど、神仏混交の名残は至るところに見いだされる。

日本には外来の事物を寛容に受容してきた歴史がある

日本には、宗教分野以外にも文字や文化、政治システムなど、優れたものは積極的に海外から取り入れてきた歴史がある。

そうした寛容な姿勢は、古来の寄神(よりがみ)信仰に根差すものと思われる。これは、海上には他界があり神がそこから来訪するという考え方であり、そこから発展して海の彼方からの流木などの漂着物や漁網にかかった石などが祠に祀られて信仰対象とされるようになった。

そうした信仰対象は「恵比寿(えびす、夷とも表記)」と呼ばれることがあり、これは「蝦夷(えみし)」と同じく異民族を意味している。このように、日本人は海の彼方からくる人や物に対して、新しい何かをもたらす、ある種、神のごとき存在として寛容に受容する傾向を持っている。


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「キリシタン弾圧」は宗教弾圧ではなかった

日本人の宗教的寛容を言うと「キリシタン(日本のキリスト教徒)を弾圧したではないか」と反論があるかもしれない。だが、最初に大規模なキリシタン弾圧を行った豊臣秀吉は宗教を禁じようとしたのではなく、宣教師の追放を目的としていたといわれる。

それはヨーロッパからやってきた宣教師たちが、日本人を奴隷として輸出する奴隷貿易を事実上黙認していたり、スパイ行為が疑われたりしたからだ。つまり、キリシタン弾圧は少なくともその当初においては国際政治上の自衛行為として実施されたものといえる。

なお、キリスト教徒に改宗したいわゆる「キリシタン大名」に神社や寺院を破壊させた宣教師もいたという。日本に乗り込んできて宗教的不寛容を振りかざし破壊行為をそそのかすのだから、宣教師を排除しようという動きは当然の結果だろう。

とはいえ、キリスト教を危険視するあまり、一般の日本人信者まで処刑してしまったのは今の感覚からすると行き過ぎではある。ヨーロッパ諸国が精力的にアジアへ侵略の手を伸ばすタイミングでなければ、違う対処もあり得たかもしれないが、歴史に「IF」はない以上、事実は事実として受け止めるしかない。


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日本は昔から多様性の国だった

そうした国際政治上の問題がなければ、日本はもともとキリスト教には寛容であり、秀吉も彼が仕えた織田信長もそうだった。特に信長はイエズス会の宣教師とも交流があり、献上された地球儀を見て、地球が球体であると聞かされて「理に適っている」と理解を示したという有名なエピソードもある。

この宣教師への姿勢や地球儀の件からも分かるように信長は非常に開明的な人物であり、宣教師から献上された黒人奴隷を「弥助」と名付けて武士の位を与えて身近に置いていたという話すらある。信長は「弥助」をゆくゆくは城主に考えていたという説もあり、本能寺の変がなければ日本に“黒人のお殿様”が誕生していた可能性もあるのだ。

近年、欧米では盛んに「多様性」とか「ポリティカル・コレクトネス(政治的公正)」といった言葉が声高に唱えられているが、日本では今から400年以上も前に多様性が一部で実現していたことになる。


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日本人の優しさの根源は寛容性と受容性

異質なものを排除するのではなく、寛容に受容し、やがて融和していくというこの姿勢は信長に限ったことではなく、程度の差こそあれすべての日本人の心の底流に流れているのではないだろうか。そして、これは日本人の優しさということにつながってくる。

第二次世界大戦後、日本に流れ込んできたアメリカの映画や音楽、食文化を日本人は屈託なく受容していったが、それは節操がないのではなく、寛容に受容し融和するという日本人の特性からくるものと思われる。

世界中の文化を吸収して現代日本で花開いた文化――日本食、J-POP、アニメなどが“クールジャパン”の名の下で世界に発信されているが、これは日本が世界から受け取ったものを今度はお返しするということに他ならない。

このことが、日本人の優しさの根源である寛容性や受容性を間接的に伝えることになるとすれば、文化の発信というだけでなく、世界平和へ寄与するところもまた大きいはずだ。

(神谷充彦 ミステリーニュースステーションATLAS編集部)

 

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