画像©北斎/鯉(国会図書館D)

輪池堂

若狭国妙玄寺の住持釋義門から興味深い話を聞いたので、その話について述べたいと思います。

下総国飯沼(注1)から移転した浅草の報恩寺(注2)の開基は性信上人です。

性信上人は上陸国鹿島郡(注3)の生まれで、左俗の頃は興四郎という名前でしたが、怪力無双の荒くれ者だったので悪四郎(※諸説あり)と呼ばれていました。

性信上人は十八歳の時に、法然上人の弟子の親鸞から教化を受け、改心して剃髪染衣の身になりました。性信上人は親鸞が北国に左遷されてからも髄身として親鸞の側を離れませんでした。それから二十五年の歳月が過ぎた頃、性信上人は親鸞の命を受け、飯沼で譲り受けた廃寺を報恩寺として建立しました。




その年の冬、性信上人の仏法を聞いていた老人が「我は飯沼の天満宮の天神なり。我に仏法を教えたあなたは我の師です。師のためにも長くこの寺を擁護します」と言って忽然と姿を消したそうです。

天福元年正月十日に「師恩のために御手洗川(注4)の鯉を取り、報恩寺に贈って欲しい」と、飯沼の天満宮の禰宜達の夢枕に天神が現れたとのことで、天満宮から鯉が二匹贈られてきました。

これを受けて性信上人は、天満宮に鏡餅を二つ奉りました。これが恒例行事となり、今でも人々に語り継がれているそうです。

しかし、浅草に移転した報恩寺と飯沼の天満宮を行き交いするには、手間と費用が掛かるので、恒例行事を廃止にしたところ、その年の祭禮の日に大木が折れるなどの災いが起きて、天満宮の御手洗川の鯉も絶えてしまったそうです。人々は天神の怒りを畏れ、恒例行事は一昨年前の文政七年に再開されました。

今年の正月十七日、私は報恩寺の恒例行事に招かれて鯉料理をご馳走になりました。その時に詠ませて頂いた歌を紹介して終わりとさせて頂きます。

千代にこそたてまつらめと飯沼の神は契りをたがへざりけりとなん有りける。

注1:現在の銚子付近
注2:現在は東京都台東区東上野に移転
注3:現在の茨城県付近
注4:参拝者が身を清める自社仏閣の近くを流れている川

参考:兎園小説(国会図書館蔵)




≪あとがき≫

飯沼は下総国に存在していた大湖沼で、現在は水田地帯になっている。天満宮とは菅原道真を祭神とした神社で、天神や天神さまとも呼ばれ、千葉県銚子市で春と秋に開催される菅原大祭は有名である。

菅原道真が謀反を計画したとして、左遷された現地で没した後、清涼殿が落雷を受けて多くの死傷者を出し、醍醐天皇も数か月後に崩御したため、道真が怨霊と化して祟りを起こしたとされ、後には学問の神さまとして祀られるようになった。また、性信上人の師である親鸞も左遷されているので、報恩寺と天満宮には何か因縁のようなものを感じる。

報恩寺は現在、東京都台東区東上野に移転しており、年中行事として鯉料理規式が行われている。

(前世滝沢馬琴 山口敏太郎タートルカンパニー ミステリーニュースステーションATLAS編集部)

参考:坂東報恩寺HP、ウィキペディア
坂東報恩寺HP https://bandouhouonji.wordpress.com/

 

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