8時間もの空白を憶えていない私…もしやアブダクションだったのか?

投稿   Iさん 

アトラスラジオを聴き始めたのは、ここ1月ほどになります。興味深い内容が満載で飽きません。

私自身の忘れられない体験の数々、もしや伝えても良かろうか?と思いメールしました。長く封印してきたのですが、それには二つ訳がありました。

ひとつは確かにあった、と分かっていたのに誰にも話せなかった。もうひとつは、誰に話してもまともに捉えて貰えなかったので、疲弊してしまい心を閉ざしていた。…という事です。

私は1975年に中学三年生でした。生まれは静岡県磐田市という所です。卒業を控えて、未だ公立高校の試験の日程などで、その日はクラスに残っている生徒もまばら。其々が自習という時でした。

昼休みの時間、私は自分の席で本を読んでおり、他のクラスメイトは其々グループに分かれて何やら話をしたりしていた時、窓側にいた男子が「あれっ?」と言って南側の窓の外を指しました。

そこにあったのは、我々のいた校舎の二階の高さと同じ位置、ほんの数十メートル位先の建物の間にポッカリと浮かんでいる白銀色の饅頭を潰した様な形のもの。

クラスにいた他の子たちも、一斉にそれを見ていました。騒ぎもせずただボーッと。それは端の方から雲の様なのが出てきて、消えてしまいました。全く何もなかったかの様になくなってしまいました。

それが消えると、皆不思議と何もなかったかの様に元の会話に戻ったり、私も読書を続けました。

ただし、その後に誰もその事について話す人がいなかった。というのが、後から考えてもおかしな話なのです。




それから一週間ほどして、下校途中のことです。私は校門を出て、バス通りのある道に出るまで東に向かって歩いていました。

何故そうしたのかは分かりませんが、急に頭の上を見上げると、私の真上に丸い皿の底の様なものが二つ並んでそこにあるのを見ました。色は白銀色です。それは暫くそこに止まっていて、空からゆっくりと西の方角へ飛んで消えました。

リアルに見たのは、これだけではありません。私はその後、縁があって東京のアニメーション制作会社に入社しました。会社は国分寺市にあり、制作スタジオは私鉄沿線の最寄駅から徒歩12分といったところにありました。

一年程して、作画に異動になり国分寺駅近くの作画研修所に通う様になったある秋の事です。夜の10時過ぎに仕事を終えて帰り、電車から降りて線路沿いを歩いていた時、東の空にオレンジ色に光る物が南から北に飛んでいるのが見えました。

『飛行機かな?』と思って見ていたら、それはいきなり不規則に木の葉が散る様にひらひらしたかと思うと、急にジグザグに動いてまたパッと一直線に北に向かって飛んでそのまま消えてしまいました。

中学三年生の時に見た物と、その時見た物、これは何故か人に話しませんでした。

と、言うのも記憶の中にはあると分かっているのに、何故か話さなかったのです。私はその後、矢追純一さんのセミナーなどに何回か参加したことがあったのですが、その時も話さなかったのです。話す様になったのはずっと後になって、急に話せる様になったのですが、誰もまともに聞いてくれないと分かってから、心の奥にしまっておく様になりました。

しかし、最後に見た後くらいから、やたらと夢の中にUFOが出てくる様になりました。

夢の中でとにかく追いかけられて、私も必死に逃げて。ある時、遂に目の前にドーンとあるUFOの中に入らざるを得ない、というところまで来ました。意を決してその中に入ると部屋のど真ん中に椅子がひとつ。そして目の前に大きなスクリーン。否応なく座って、たくさんの映像を観せられました。

最初は未だ行ったことのない地球のあらゆる地域の美しい景色でしたが、最後の方は何故か荒廃して砂漠の様な風景、廃墟が沢山あります。遠くの方で戦争が起きているのか、キノコ雲が上がっています。『こんな世界は嫌だなぁ』と思うと目が覚めるのです。

その夢はそれで終わり。

それからも夢はどんどん進行していって、色々な風景、世界を見る様になりました。ある時、気がついたのは、私は夢を見ながら、同じ所に行っているのではないかと。

それは今も続いており、夜眠れば必ずそこへ行くのです。そこで展開されている事は、余りにも長くなりますので割愛します。

しかし、今とこれからの事について、とても重要な意味合いのある内容なのだろうな、と思っています、この世界にとって。

UFOと異星人、という夢については後に記憶が蘇って4歳から5歳くらいの頃のものが、急にフィードバックしたことがあります。それを強烈に思い出したのは、大事な事なのだと後で気がつきました。

故郷の家の近くで私はUFOに吸い上げられて、船内に入るとコックピットの様なところに、肌の白い髪の赤い男性に出逢います。私が不思議な気持ちになって、「誰ですか?」と訊ねると、「ベガ」と答えました。

これはそこで途切れています。リアルだったのかも知れません。記憶は定かではありません。

というのもその頃から、時々不思議なことが自分の周りにはしばしば起きていたので、記憶の中で現実と夢の境が少し曖昧な所があるからです。




実際、小学校四年の時は、朝学校に行ってきますと家を出て、気が付いたら山の中にいて、不思議に思って歩いて道に出て、近くで山の下草を刈りに来たらしい農家のおじさんがいたので「今何時ですか?」と聞いて「3時過ぎたところ」と教えてもらいました。

朝の7時20分に家を出て、何故、午後3時過ぎにそこに居たのか、全くの謎でした。これは現実にあった事として、しっかり記憶しています。

この様な訳で、なんとも言えない人生を、普通に生きつつも体験してきたのですが、誰かに話しても余り理解される事はなかったので、自分の中に押し込めつつ、この歳になりました。

夢は今でも続いています。

そして、夢から沢山の情報を得て来た様に思っています。巷は多くの情報で溢れかえっており、また、この様なオカルトと呼ばれる分野では、沢山の人が情報を発信していますが、リアルに体験してみると、声を上げる事の重大さに軽々しくものを言うべきではない、というのが私の感じたところです。

常に、自分は大丈夫か?精神的にバランスを崩してはいないか?…これを慎重に確認していかないと、ただのおかしな人で終わってしまいます。

冷静に立ち返る。時に自分の身に起きた事を論理的に分析してみる、というのはとても大事です。不思議を不思議で終わらせないためには、しっかりとした知識と洞察力、恐れない事、それから答えを外に外に求めない事だと思いました。

これから起きてくる事も、あらかた予想はつきますが、冷静に判断して対処していきたいと思います。

山口敏太郎様、今の世の中に起きている事を、どの様に見ておられますか?

これからも健闘を祈っております。初めてながら、長文になり失礼しました。

(ミステリーニュースステーションATLAS編集部)

画像©Ronald Álvarez Domínguez PIXABAY

 

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