見守ってくれている

死はつらい体験であることが多いが、中には心が少しだけ温まるような体験をした人がいる。

今回はWさんという男性と、Kさんという女性の話をそれぞれ紹介したい。

Wさんは2010年6月30日の夜に祖父が亡くなった際、こんな体験をしている。

祖父が倒れた際、祖母は救急車に同乗し、先に病院に到着していた。WさんとWさんの母、兄が病室に到着したころには一足遅く、祖父は帰らぬ人となっていた。

(おじいちゃん……)

おじいちゃんっ子だったWさんは病室に入ると、息を引き取ったばかりの祖父のベッドの傍に立った。その瞬間、幼少期に祖父とよく遊んでもらったことが思い出されて涙が止まらなくなった。その様子を見て、病室内の家族はみんな涙をこぼしていたという。

事前に母が父に連絡をしていたので、父も仕事を切り上げて駆け付けた。父は駆けつけるなり、

「○○にも連絡してくるな」

と、Wさんの叔父にあたる人物の名をあげて病室から離れた。その際、Wさんもついて行ったそうだ。

電話を終えたWさんと父が病室に戻ると、既に祖父の遺体は霊安室へ移されていた。そして、家族のほかに医師が一名待っていた。

「では、ご案内いたします」

医師が引率する形で、祖父が移動された霊安室へ家族も移動することになった。そのときWさんはこう感じたという。

(病室に戻って来てから、誰かがいる……)

医者がいるから一人増えているということではない。Wさんは、今見えている人間以外に、もう一人“誰か”がこの場にいるという感覚があった。

医師について霊安室へ向かうエレベーターを待っていると、先ほどの感覚がより強くなっていた。エレベーターホールでは医者、その横に祖母、その後ろに母と父が並び、さらにその後ろにWさんと兄が立っていたのだが、兄側に向いた身体の半分が妙に暖かいのだ。

そしてWさんは自分と兄の間に、その“誰か”が立っていると感じたという。

(ああ……、このあったかさは、おじいちゃんのだ)

その瞬間、Wさんは少しだけ落ち着くことが出来たという。

「おじいちゃん子だった私と兄の間に立って、祖父が見守ってくれているんだって、そう感じたんです」

Wさんはそう話してくれた。




もうひとつ、群馬県渋川市在住の女性、Kさんの体験談を紹介したい。

Kさんは二年前に義父を亡くしている。結婚してから義理の父が亡くなるまでにあまり多くの時間を共に出来たわけではないが、行けばお茶を出してくれたりと、優しい人だった。物静かで口下手なタイプではあったが、Kさんは義理の父が好きだったという。

義父は亡くなる何年も前から脳梗塞にかかっており、何かの拍子で倒れてもおかしくはないということは知っていた。今すぐどうにかなるわけではないだろうと思っていたところ、家の中で倒れた途端に植物状態になってしまい、それから二週間ほどで帰らぬ人となった。

(もっと色々お話してみたかったな……)

気持ちの整理がつかぬまま通夜を終えた後、寝ずの日々が続いていたので、親族が気を利かせてくれた。夫は三人兄弟の末っ子で、喪主は兄がつとめていた。

「疲れているだろうし、家で休んでおいで。小さい子もいることだし……」

当時Kさんの娘は三歳で、義父にとって初孫だった。

(ああ、娘が生まれたときに誰よりも喜んでくれたのも、義父だったなぁ……)

Kさん一家は、通夜を終えた後に一旦家に帰ることになった。父を喪ったばかりの主人にハンドルを握らせる気にはなれず、娘をチャイルドシートに乗せて、Kさんは運転席に乗り込んだ。

「あなた疲れてるでしょう、私が運転するよ」

「ああ……。ありがとう」




式場の駐車場から車を発進させてゆっくり進んでいたところ、スーっと、暗闇の中、道路を横断する人影があった。

(危ない!轢いたらどうするのよ……)

その人物が通り過ぎてから車を発進させ、後部座席に座っている夫に声をかけた。

「今さ、人通ったよね?」

夫は疲れから下を向いていたようで、その人影には気が付いていなかったそうだ。

(あれ?でも……)

後から良く考えてみると、人影は炎のような、赤ともオレンジともつかない色をしていた。そして、マネキンのように、人物の情報がまったく窺い知れないものであると気が付いた。

睡眠不足も重なっており、Kさんは疲れているときに不思議なものを見てしまう体質だったので、またかと内心思ったそうだ。

(あ、……さっきの人は、この世の人じゃないんだ)

そんなことを考えながら帰宅をすると、玄関の方がふっと明るくなった。家の中に向けられた光が、懐中電灯を近づけたり遠ざけたりするように、強くなったり弱くなったりしている。

(懐中電灯で誰かがいたずらしてるのかな)

インターホンのモニターで外を確認するが、誰もいない。急いで玄関を開けたがやはり誰もいなかった。

(人が歩くような音もしなかったし……変なの……)

後でよくよく考えると、いわゆる人魂のような動きをしていたという。

(義父も、孫と離れるのはやっぱり寂しいのかも)

翌日、Kさんたちは気持ちの整理がつかないまま葬儀を終えて、位牌を家に持ち帰った。
いつもと変わりない日常に戻るまでは少しだけ時間が必要だった。

その頃、仕事や育児と様々な疲れが重なっていたKさんは、毎日のように義理の父の位牌に話しかけることが日課になっていた。

「今日はね、こんなことがありましたよ」

初めは声に出していた報告も、四十九日を過ぎる頃には心の中で故人に語り掛けるように変わっていった。

ある日のことだ。その日は頭と肩がとても痛み、家の仕事が何も手につかなそうだった。

(お父さん、今日は頭も肩も痛くて……。とてもじゃないけれど、家のことが何も出来なさそうです。どうしよう……)

そんな風に義父の位牌に胸中で語り掛けていると、驚くことにスッと痛みがひいたのだ。

「今でも不思議過ぎて義理の父が治してくれたのかな?って……」

Kさんはそう語る。

「他にも不思議なことがあって。義父の四十九日には、部屋の掃除をしている最中に、チリーンという鈴の音を聴いたんです」

音は右耳の方から、はっきりと聴こえたという。

「どこを探せばそんなにきれいな音が?と思うくらいに、この世のものとは思えないほどに、澄んだ綺麗な音でした」

義父はきっと見守ってくれている。そう思える体験だと、Kさんは話してくれた。

人は生きているうちに多くの人間と出会い、別れる。それでも世界から見ればほんの少しの人数でしかない。そして中でも関わりが深かった人間とは、目には見えない奇妙な縁で繋がっていると筆者は考える。

現世を生きる人間が死者を想うとき、きっと死者もまた、あたたかいまなざしでこちらを見守ってくれているのだろう。

(志月かなで 山口敏太郎タートルカンパニー ミステリーニュースステーションATLAS編集部)

 

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