江戸奇伝 『百姓幸助と身代わり如来』


大般若波羅蜜多經. 卷第11(国会図書館D)

幸助は、信濃国では清助という名前ですが、江戸の高家に仕えているときは太田幸助と名乗っているので、江戸では幸助と呼ばれています。

幸助は叔父が生きていた頃に叔父の意志を継いで、信濃国の號紫慶山・善光寺行願所である正覚院月輪寺に、大般若経(全部で六百巻余りある)を出来るだけ集めて寄進しようと思い探して歩いたのですが、田舎ではなかなか事が進まず、合計六十七巻を寄進するだけで精一杯になりました。

そこで幸助は、江戸に出て集めることにしたので、故郷を離れる前に善光寺を参拝し、宿願が成熟して故郷に戻ってくるまで八十歳を超える母を守って欲しいと如来を拝み、阿弥陀の描かれている書像を一枚買いました。

こうして幸助は、今年(文政七年)の秋から江戸の白壁町金八店紙商人安兵衛の家を旅宿として滞在しているのですが、その間、旅宿の棚に善行寺で購入した阿弥陀の書像を掛けて、毎朝毎晩に燈明を揚げて拝んでいました。帰りが遅くなる日は、幸助の代わりに宿主が燈明を揚げていました。

九月の末頃、幸助は日本橋という須原屋で購入した合計十巻ほどの大般若経を背負いながら、ついでに元三大師の遷座を拝もうと思い東叡山に向かったところ、到着したのは夕暮れ前になってしまい参拝者も少なくなっていましたが、なんとか拝み終えることが出来ました。

幸助は帰りの道中で雪駄靴のかかとを踏まれ、うつ伏せに倒れてしまい、脇差しの刀が飛び抜けて幸助の肩のあたりに勢いよく落ちました。経巻を包んでいた風呂敷の左肩に掛けていた部分は切れてしまいましたが、幸いにも怪我をすることはありませんでした。


大般若波羅蜜多經. 卷第11(国会図書館D)




その頃、宿主が幸助の掛けた書像に燈明を揚げようとすると、書像が舞い落ちたので拾い上げると、書像に描かれていた阿弥陀の肩周辺が破れていて、阿弥陀の肩からは血が流れていたので、これはどうしたことかと驚いて、親しい人を集めて話をしている内に、これは幸助の身に災いが起きた知らせではないかと心配していました。

幸助は他の用事も片付けながら戻ったので、宿に到着する頃にはすっかり日が暮れていました。宿主たちは幸助の無事を祈るため、近くに居た法師を招いて阿弥陀経を読んでいました。幸助が宿に戻ると、宿主たちは幸助の無事を喜びながら、血を流した書像のことを幸助に伝えました。

その話を聞いた幸助はとても驚いた様子で、東叡山からの帰りに起きた出来事を語り、阿弥陀さまが身代わりになって下さったのだと涙ながらに説明すると、宿主たちは霊験利盆の合期した出来事であると悟ったそうです。


縁結文定文紋(国会図書館D)

去る十月十一日、神田平永町から本屋山崎平八という人物が私の隠居に慌ただしくこの奇談を伝えにやって来たので、清助を隠居に招いて直接話を聞いてみると、書像を一度見にきて欲しいと云うので、疑いながらもしぶしぶと書像を見に行ってみると、書像は善行時で購入されてから間もない綺麗な状態の田舎表具の掛物で、処々の俗家にある印行の仏像・左右には観音勢至・下には月海長者夫婦の侍るもの・三尊の阿弥陀が描かれており、良く見ると、向かって右側の表具の端から阿弥陀の肩先まで綺麗に破れていて、阿弥陀の肩からは血が流れていました。

書像から血が流れて十五日ほど経過しているので血は黒ずんでいましたが、どこからどう見ても間違いなく血が流れた跡なので、不思議というに他なりませんでした。幸助が熱心に信仰していたので、阿弥陀さまが身代わりになってくれたのでしょう。

幸助は十一月までに大般若経を三百巻余り買い集めることが出来たと言っているので、程なく全巻集めることが出来るでしょう。幸助は春まで江戸に滞在する予定なので、この話に興味がある者は、幸助が滞在している宿に行って聞いてみると良いでしょう。また、今年の冬頃から、幸助は神田鍛冶町繪の具商人大阪屋庄八の家に滞在する予定になっているそうです。

文政七年甲申十一月十五日燈下識  神田老逸隱謦簑居士

参考:兎園小説(国会図書館蔵) 絹本著色山越阿弥陀図(京都・禅林寺所蔵、ウィキペディアより)
注:画像はイメージです 




【あとがき】

身代り地蔵尊

身代り地蔵尊とは、人々が受ける災いを代わりに引き受けて下さるとの云われがある石仏で、縛られ蔵尊、斬られ地蔵尊、首無し地蔵尊などが挙げられます。

筆者が初めて切られ地蔵尊を見たときは、お地蔵さまの顔に切られた跡が残っているので同情するとともに、このように思いやりの心を育ませてくれる石仏が祀られている日本の風情は本当に素晴らしいと思いました。

ある日、墓地などで同情すると彷徨っている霊に憑依されるので危険だよという話を聞いたので、確かにそうかも知れないけれども、先ほどのお地蔵さまに同情するような思いやりを持ってはいけないのか疑問に思ったので、筆者が信頼している霊能者に聞いてみたところ、暫くしてから、正しい思いやりの心ならば、憑依を遥かに超えるという結論に至ったと教えて頂いたことがあります。

地蔵の首は細くて一番脆い部分なので、地蔵の首が取れ易いのは自然現象と考えられますが、もしかしたら誰かの身代りになって下さったのかも知れません。

今回は、斬られ地蔵尊の写真を載せておきますので、熱心に拝んでみてはいかがでしょうか。(今回は斬られ地蔵尊の詳細について割愛させて頂きます)


斬られ地蔵尊(顔に斬られた跡が残っています)

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幸助は母親の無事をお願いするために善行寺を訪れて如来を拝んでいるので、母親の安否が気になるところですが、幸助が故郷である信濃国に戻る前の内容なので、確認する術がなく残念です。

内容から、江戸時代の人々は困った人が居ればみんなで助け合っていたという背景が伺えますが、現代社会が形成される過程で薄くなってしまった背景と言えるのではないでしょうか。

また、文中に登場する善光寺や正覚院は長野県に現存しており、東叡山は東京都上野方面に該当しているので、興味のある者は幸助の足取りを追ってみると良いでしょう。

(前世滝沢馬琴 山口敏太郎タートルカンパニー ミステリーニュースステーションATLAS編集部)

 

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