【虚像の偉人】坂本龍馬の意外な一面

 以前アトラスでも紹介したが、幕末の偉人、坂本龍馬には多くの逸話が存在している。

 彼は幕末から明治にかけて、鎖国から開国へ動乱する日本の今後を左右する様々な政略や戦略を考えだし、また名言も残していた人物だが、これらの言葉や戦略には元ネタがあったという事が判明している。

 龍馬が自身の姉に宛てた手紙に出てくる有名な「日本を今一度せんたくいたし申候」という言葉は、熊本出身の学者・横井小楠の言葉「天下一統人心洗濯希(ねが)うところなり」というのが元ネタのようである。




 さらに、龍馬が船の中で「船中八策」を書き上げるシーンは龍馬の物語でもクライマックスシーンだが、その「船中八策」は、横井小楠の「国是七条」を元に作られたと推測されている。この横井小楠の「国是七条」に関しては龍馬に伝えた人物が確定されている。

 龍馬が脱藩する一ヶ月前、武市半平太の指令を受け、徳島県美馬市の鎌村熊太邸に資金を受け取りに行った。その際、鎌村から「国是七条の原案」について説明を受けたと伝えられているのだ。この熊太邸に龍馬は、才谷梅太郎という度々使用している変名で逗留しており、資金が集まるまで数日間を隠れ部屋で過ごしたという。




 実はこの「龍馬の隠れ部屋」は今も残っており、当時龍馬が寝起きした布団や番傘、木製オマルが残されいるのだ。近年、惜しくもオマルは廃棄されてしまったが、布団と番傘は龍馬学会の調査対象にまでなった。龍馬は近年まで隣県の徳島県には足を踏み入れてないという説が有力であったが、この物証により徳島訪問が確実視されつつある。

 このように龍馬をめぐる新発見は日々続いており、龍馬の新発見の手紙や師匠である勝海州の署名が入った源氏物語の発見、寺田屋事件の事情聴取の資料確認などが行われている。

 恐妻家、パクリ屋、怪談好き、どんな資料が出ようとも”憎めない龍馬像”には変わりはない。

(山口敏太郎 ミステリーニュースステーション・アトラス編集部)

画像©リズム727 photo AC

 

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