【昭和の猟奇事件】戦時下に発生した「人肉食」事件(後編)

(前編から続く)

■群馬〇〇村人肉鍋事件

ミステリー小説の大家・松本清張は『ゼロの焦点』、『砂の器』という本格推理小説を多く手がける一方、『日本の黒い霧』、『昭和史発掘』といった隠ぺいされた現代史を暴くノンフィクション小説も多く発表していた人物である。

そんな松本清張が熱心に調べ上げ、作品にした殺人事件には「津山三十人殺し」があるのだが、もうひとつ彼が熱心に取り上げた事件がある。それが「群馬〇〇村人肉事件」である。

以下、事件のあらましは群馬県警察史編さん委員会編『群馬県警察史』第2巻に収録された内容を元にした。

終戦から5か月が経過した1945年(昭和20年)10月31日、群馬県の某村の巡査が戸口調査のため村の住民であるA宅を訪れた際、Aの二女である17歳のTの行方がわからなくなっていることに気が付いた。家主のAは不在で、内縁の妻であるHにTの行方を聞いたところ「(群馬県)前橋へ行った」という曖昧な供述を行った。




怪しんだ巡査が村の周囲にTの行方およびA宅のことを聞いたところ、村の住民から「HはTを育児放棄(ネグレクト)しており食べものを与えていない」という供述を得ることができた。

翌月、巡査は事情聴取するためHに任意出頭を求めた。すると、HはTの行方について一言「食べちゃった」と供述したという。

A宅の家庭環境は複雑を極めており、夫のA内縁の妻のHの間に6歳と4歳の子供がおり、Hの9歳の連れ子、そしてAの先妻の子供であるTの6人家族だった。

この夫婦は仲はよかったが、大黒柱のAは働かず、Hは配給の食べ物を計画性もなく食べてしまうなど生活能力はなく極貧の生活を続けていた。

食べ物のないA宅が生き延びていたのは近所から農作物を無料で分け与えてもらったお陰であったが、終戦で食べ物のないこの時代、乞食同然で見返りも特にないA家族は次第に村中の住民から白い目で見られるようになっていた。

食べ盛りの子供が4人もいるA宅の困窮ぶりは筆舌に耐えがたく、まさに生き地獄であった。そんななか、子供に食べさせるため最後に残った食糧で作った味噌汁を大黒柱のAが全部平らげて出かけてしまうという事件があった。

空腹で腹を空かせた子供たちを救うため、Hはある決意をした。

「Tを殺して食べてしまおう」




Tは知的障害を持っており会話もままならず、さらに胃を壊しており働くことができなかった。また後妻であるHにとってはTのみが自身の腹から生まれた子供ではない「他人」であることも大きかった。

Hは子供を外で遊ぶよういい、Tの首を絞めて窒息死させた。その後、HはTの死体をバラバラにし内臓を抜き、鍋に入れてグツグツと煮込んだ。

そしてその夜、A宅では家族で食べきれないほどの量の肉鍋が出され、その後3日間にわたってTの肉鍋を食べつづけたというのだ。

この話を聞いた巡査はにわかには信じられなかったが、後日A宅の庭を調査した際、埋められた大腿骨と腐りかけの頭部が発見され、「肉鍋事件」は事実であることが確認された。

なお、Hは子供やAに食べさせた際には「ヤギの肉である」と説明したという。

当然、人肉はヤギ肉とは味も臭みも全く違うのだが、肉の主は病気とはいえ、うら若き17歳少女のものである。家族全員で食べつくしたという事は味はそこまで悪くなかったことと思われる。

しかし、いくら食糧難とはいえ、子供達には血を分けた家族の肉である。彼らはグツグツと煮えたぎる肉鍋と化した「お姉ちゃん」をどう見ていたのであろうか……。

その後、Hは懲役15年の判決が出て後に出所。その後、本事件はタブー化され、松本清張が小説化したものの現在では一部のマニアの間でしか知られていない事件となっている。

文:穂積昭雪(昭和ロマンライター / 山口敏太郎タートルカンパニー /ATLAS編集部)

画像©jan mesaros PIXABAY

 

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