【昭和の猟奇事件】戦時下に発生した「人肉食」事件(前編)

2020年は第二次世界大戦が終わってから75年目という節目の年となる。

日本は「敗戦」という現実を迎え入れ、新たな時代を歩みはじめ、戦後インフレ、そして高度経済成長期へと続いていくのだが、その道は決して平坦なものではなかった。

終戦直後、多くの市民は食べるものに困り、特に子供は栄養失調になったり餓死する人も多く、彼らが平和に生きるための戦争はしばらく続いていたのである。

そんな混乱の時代、食べるものに困り、人間にとって禁断の「人肉食」に手をかけてしまったという事件は少なくない。本稿ではそんな戦中、戦後に発生した「人肉食事件」を2点ご紹介したい。




■奥多摩人肉事件

1948年(昭和23年)2月18日、東京都の奥多摩地方にて57歳の男性Aが殺人の容疑で逮捕された。殺されたのはAの家族である妻(58歳)と長男(14歳)で彼女らの死体は斧でバラバラにされ見るも無残な状態だった。しかし、ここまでならよくある(?)バラバラ殺人事件。この二死体にはところどころおかしい点があった。

二人の死体は細かく刻まれ、家の中に血がビチャビチャと散乱していたのである。さらに凶器の斧以外にも台所では鮮血のついた包丁が見つかり、彼女らの物と思われる小さな肉片がまとめられていたのである。そう、Aは家族を殺した後、その死肉を生のまま貪り食っていたのである。

その事実に気が付いた警察官は思わず、吐き気を催したという。

なぜ、Aは「家族の死肉をしゃぶる」という凶行に出たのであろうか。




Aはかつてはこの地に住む農家だったが、戦争中に病気により娘を失ったうえ、耕していた畑を国から奪われていた。以来、すべてに絶望したAは精神を病んでしまい重い統合失調症に罹っていたのだ。そのため、働くこともできず、家族達は困窮してしていたという。

犯行当時の模様はわからないが、食べるものが底を尽き、自身のストレスも限界にまで達し、寝ている家族を殺害し食べてしまったのではないかとされた。

逮捕後、Aは大人しくなり、また「家族を食べる」という異常性については、本人も十分に理解していたようでありお世話になった警察官には「俺は世界でも日本でも類のないとんでもないことをしてしまった。早く死刑になりたい」と訴えていたという。

そして事件から1年が経過した1949年(昭和24年)。改めての鑑定の結果、この男はやはり重い統合失調症で回復の見込みの見えない障碍者であることがわかり、警察は彼を日本の法律にて罰することができず不起訴処分としている。その後、彼は多摩市内の精神病院へ収容されたというが、その後の足取りはわかっていない。

(後編に続く)

文:穂積昭雪(昭和ロマンライター / 山口敏太郎タートルカンパニー / Atlas編集部)

画像©PIXABAY

 

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