京都に「妖怪ヌエ」のお墓がある!?

画像©Wikipedia 新形三十六怪撰:猪早太と鵺 月岡芳年画 より引用

投稿  Hさん 

京都のヌエのお墓につきまして、ネットの情報と地元の方から教えていただいた情報を基に、現時点で推定しております場所は、大谷墓地です。(ピンポイントで特定できておらず、現在の大谷墓地のエリアのどこかにあったのだろう、という認識です。)

「毛朱一竹塚」(もうしゅいちちくつか)という名称の、ヌエのお墓が、京都の清水寺の近くの『六花亭』というお茶屋さんのすぐ側に存在することを、『§清水寺・御朱印§』というサイトの「清水寺・清水寺には、今でも妖怪(鵺)がいて、塚を守っている?!」というタイトルの記事にて知りました。




この記事によりますと、ヌエのお墓という伝承の「毛朱一竹塚」そのものは現在残っていない模様でしたが、言い伝えや建てられていた形跡ならば何かしら残っているのでは?という期待をもちつつ、昨日(3月15日)、現地を訪れまして、お店の方に尋ねましたところ、

「『毛朱一竹塚』という名前を聞いたことがあるような気がするけれど、どこにあるかはわかりません」、
「お店からすぐ近くに大谷墓地があり、お墓があるとしたら、その辺りではないでしょうか?」

という内容のお返事をいただきました。

すぐさま大谷墓地に向かいましたところ、辺り一面お墓の建ち並ぶ壮大な墓域で、私にはヌエのお墓の場所を絞り込むことは到底できないと感じ、また、ヌエのお墓の場所が判らない状況で墓地を写真撮影することは、墓地にて供養されておられます御霊の皆様に失礼になるような気がしてしまい、写真撮影することができませんでした。

写真がなく申し訳ございません。

YouTubeに、大谷墓地を撮影した動画がありましたので、写真の代わりにこちらの動画の情報をお伝えさせていただきます。

ブラタモリ清水寺回で登場した巨大墓地 大谷墓地 2017.4  大谷本廟/西大谷/京都


京都にあるヌエのお墓の場所がどうしても気になり、現地訪問後、「毛朱一竹塚」でネット検索し直しまして、『大阪妖怪・伝承探訪』というサイトの「鵺或いは毛じゅう-京都市東山区・三寧坂(三年坂)-」というタイトルの記事や、
『花の降る里』というサイトの「毛朱一竹塚」(2017 03/24 04:12)という記事や、
『劇場国家にっぽんブログ』の「知られざる清水寺(その3 清水寺の魔界性1)」(2014/01/07 09:02:14)というタイトルの記事があることを知りました。

これらの記事に、「毛朱一竹塚」の場所に関しまして、三年坂(三寧坂)を上がった頂上近くの丘にあり、さらに詳しくは、現在の六花亭の建物のすぐ右側にあったという伝承が記されており、やはり六花亭の近辺に建てられていた可能性が高いように感じました。

ここで、私が特に気になりましたのが、『劇場国家にっぽんブログ』の「三年坂の崖にあったという」という箇所です。

建立地が丘と崖では矛盾しているように思いましたものの、三年坂(三寧坂)のある丘陵地の頂上近くにある崖と解釈しますと、整合されると思いました。

そして、六花亭の店員さんに教えていただいた大谷墓地が正にその条件を満たす場所であると思いました。(数少ない情報からの推定に過ぎず、今後、情報収集に努め、「毛朱一竹塚」が建てられていた場所をあらためて推定したいと思っております)




また、先に挙げました複数のサイトの記事により、ヌエ退治の伝説には、源頼政による退治の伝説(『平家物語』)の他に、平清盛による退治の伝説(『源平盛衰記』)があることが判りまして、大阪市と芦屋市の2ヶ所のヌエのお墓が源頼政による退治伝説に因んでいるのに対し、京都のヌエのお墓は平清盛による退治伝説に因んでいる印象を持ちました。

ここで、山口様の「オカルトを知的なエンターテイメントとして楽しむ」という考え方にならい、また、ATLASラジオのヌエの放送回にて3体のヌエに遭遇されましたきなこさんの体験談から、ヌエは複数存在し、京都には、源頼政が退治したヌエと平清盛退治したヌエの、少なくとも2体のヌエが現れたことになり、とても興味深く感じております。

京都にあるヌエのお墓が建てられていた場所が判明しますよう、今回知り得ました情報を参考にしつつ、あらためて現地調査を行いたいとも思っております。

次回調査の時期は現時点で未定ですが、京都府庁、若しくは、京都市役所(或いは両方)に問い合わせたり、清水寺近辺に代々住んでおられる地元の方々に「毛朱一竹塚」に関する言い伝え等を伺えたらと検討しているところでございます。

(ミステリーニュースステーションATLAS編集部)

 

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