自分の存在に気がついてくれたことで喜ぶ妖怪の本質 

投稿   匿名希望さん 

山口敏太郎 様、アトラスラジオをことあるごとに楽しく聴かせていただいております。しかし、最新回のヌエのお話の放送では、聴かせていただいたあとも涙があふれそうになるのをこらえたほど、初めて泣きそうになりました。

ヌエが自分の存在に気づいてもらえた時に、妖怪の性質むきだしの喜び方で、その存在の全てで喜びを表したところに、胸がしめつけられるようないとおしさを感じました。

もしかすると、妖怪は、その容姿が醜いほど、現す怪奇現象の程度がつよいほど、自身の存在を認めてほしい、愛してほしい、という気持ちがつよいのかもしれないと、なんとなく感じました。

そして、幼少期から親の愛に飢え続け思春期にグレてしまう青少年のケースに似た妖怪もいるのかもしれないと、ふと感じました。




きなこさんとヌエとのエピソードから、テレビで以前に紹介された原田龍二さん宿泊の座敷わらしが住むと言われる旅館に昨年宿泊しました際に、座敷わらしのみなさんに喜んでほしくて「まんが日本昔ばなし」のアニメを一晩中流していた時に観たうちの1本、

日本昔話「大工と鬼六」

が、自然に思い浮かび、久しぶりに観たのですが、ヌエとのエピソードから、今回は涙がでそうになりました。(ヌエのエピソードを聴かせていただきましたリスナーのリアクションのひとつとして見なしていただけましたら幸いです)

妖怪は私にとって、気味の悪さを感じるネガティブな印象の存在だとばかり思っていましたが、実は、自分は妖怪と呼ばれる存在が好きなのかもしれないと、今回の放送により、今まで生きて来て初めて気づく機会になりました。

昨年、清明神社参拝の帰路、安倍晴明公が式神を一条戻橋の下に待機させていたというエピソードをふと思い出し、絵のかわいらしい式神のことが気になって自然に現場を訪れたことがあったなぁ…ということも思い浮かびました。

ちなみに、安倍晴明公の奥様がいやがるからとの下に普段押し込められていた式神のみなさんは今どこでどんなふうに過ごしているのでしょうか?もしかしたら、今も橋の下で、いつお呼びがかかるだろうか?とご主人様との再会を待ちわびつつも、置いてけぼりになったりなどしてはいないでしょうか?

ずっと忘れていましたのに今ふと思い出し、つい気になってしまいました。




神と人の関係性について、「神は人の敬に依りて威を増し、人は神の徳に依りて運を添う」と鎌倉時代の武士の法律「貞永式目」に第一に示されています認識のように、人と妖怪の関係性も、相互に繋がり影響し合っていて、共存共栄することができるようにこの世界はできているような気がしてきました。

アトラスラジオの放送によって、リスナーさんの体験されたことを時間と空間を超えて自分も共有できたり共鳴したり、自分の内面を見つめる機会になったり、自分で気づいていなかった気持ちに気づく機会になったり、心が癒されたり、さまざまにプラスの影響を及ぼしています。

感想を記させていただいています、この瞬間も、とても楽しい気持ちになっています。

今回はどんなテーマだろうと今日も楽しみです。

(山口敏太郎タートルカンパニー ミステリーニュースステーションATLAS編集部)

画像©wikipedia 「京都 鵺 大尾」(「木曽街道六十九次」の内、歌川国芳画、嘉永5年(1852年)10月)より

 

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