大木に呪われ、家族が続々と不幸に…(2/2)

(1/2)から続く

投稿 しましまどんぐりさん

母の言う、”背中を押した何者か”の姿は、私には見えませんでしたが、薄明かりの中、大木の黒く長い枝先が母の頭上に垂れ下がっていたのははっきり覚えています。

翌日一応念のため、病院で母は頭を診てもらい、その時の検査結果では異常はなかったのですが、お医者さんには「あとあと、影響が出てくることがあるかもしれないので注意して下さい」と言われたのだそうです。そして1ヶ月余り経って、母は脳に血栓が詰まる脳梗塞を起こし、片半身完全にマヒの重症となりました。

母自身、あの時頭を打ったのが原因だと思っていると私に語っていたことがありました。(私は深く考えもなしに即座に否定してしまいましたが、それきり母はそのことを口にしなくなりました。)

今更どうすることもできませんが、あの時、あともう少し早く母に着いて行ってあげられたら転倒を防げたかもしれない、と思うと悔しくてなりません。




それから母にとって長くつらい闘病生活が始まりました。私にとっても母を在宅介護する苦しい日々でした。慣れない介護で苦しかったというだけでなく、本人の懸命なリハビリも虚しく、徐々に気力・体力は衰え、認知症も発症し幻覚幻聴に怯えたり怒ったりと、以前の明るく優しかった性格の母が壊れていくのを見るのは、とても悲しく胸が痛みました。

そんな母の自宅介護が続いた5年目のある日の未明、私は自宅階段で足を踏み外して転倒・気絶し、利き腕を大怪我して入院、手術しました。

約2週間で退院し、帰宅後、自分が転倒した自宅階段のその場所に立ってみた時、ギョッとしました。階段の踊り場にある窓から、あの大木に見下ろされていたのです。そこにあるのは分かっていたはずなのに、その時初めて”見られている”
という感覚を覚えました。

私が転倒した瞬間もずっと見られていたのだろうか。まさか、あの木が私を祟っている・・・? なんで私を? まさか、母もあの木の祟りで転ばされたというの?いや、そんなことあったらおかしい!

一瞬湧き上がった疑念を打ち消しました。何故なら母も私も木に対して邪魔に思っている当人ではなかったからです。

それから僅か2ヶ月ほどしたある日の早朝のこと、次はとうとう父が大木側の窓のすぐ近くで転倒し背中を強打、起き上がれなくなり入院しました。背骨にヒビが入っていたのです。つまり介護が必要な家族が二人に増えてしまったのですが、私の怪我した腕はまだ後遺症が残り、力が必要な介護は到底無理だということで、両親とも介護施設に預かってもらうしかなくなりました。

・・・両親の施設入所が決まった時、内心、私は安堵しました。自分が両親の介護生活から解放されたというだけではなく、これ以上両親があの木の祟りみたいなものを受けなくてすむと心のどこかで思ったからです。

それからというもの時々ですが、夜寝る前など、何故だかあの木に対して無性に腹が立ってしまい、心の中で”許せない”、”あんな木無くなってしまえばいいのに”と、木が倒れるいろんなイメージを強く念じていました。

・・・正直その時の自分はどうかしていたと思います。もちろん実際に自分で実行に移したりすることはありませんでしたし、私の念で木自体に変化があるようにも見えませんでした。

しかし、その時は突然にやってきました。




平成30年台風24号の通過した日の朝、お隣の大木は我が家の壁にのしかかる様に根元から倒れていました。今まで幾度の台風にもビクともしなかった大木が無残な姿に。そして、まるで”最期の一撃”とでも言わんばかりに、枝が我が家の二階の窓ガラスを貫いていました。

翌日、その大木はあっけなく撤去されました。二階の窓から視界を遮る大木は無くなり、空が見え嘘のように明るくなりました。

ただその頃から介護施設にいた母が腰痛を訴え再入院、食欲も急激に衰え、数ヶ月の入院生活後、他界致しました。今は母の遺影に手を合わせる毎日です。

この頃になって思うのは、目に見えないものに対して、もう少し知識や関心を持っていたら、思いやりの心を持って行動していたら、私の家族は今とは違っていたのかなあ、ということですが、まさに後悔先に立たずですね。

私は今はまだ、母を亡くした喪失感と、諸々の後悔の念に苛まれている最中ですが、なんとか前向きに生きられるようになりたいと。

(山口敏太郎タートルカンパニー ミステリーニュースステーションATLAS編集部)

画像©Слава Вольгин PIXABAY


 

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