
千葉県市川市行徳は航路が主流だった頃、製塩や漁業などが盛んで江戸の勝手口として大変栄えた地域である。
また、行徳千軒寺百軒と言われるほど寺院が多く、寺町通りや徳川家康が鷹狩りに行くさいに通った権現道などが歴史の風情を表している。
№33(※先頭写メ、寺町通りと権現道交差点)
№34 徳願寺
徳川家や宮本武蔵に所縁があり、毎年11月16日には年代不明である足のない幽霊絵などの寺宝が公開される。
(本殿)
寺の縁の下で雨風を凌いでいるときに、仏さまが現れて救われたというような、寺社仏閣の縁の下にまつわる弱者救済民話は多くの文献に見られる。しかし、現在では法律上の問題などがあるので縁の下に潜るのは難しいだろう。そこで、「通路の下」である。
№35常運寺
【本尊・読経日蓮大菩薩像にまつわる話】日裕上人は大菩薩像を作り、「私が亡くなったら墓のところに小屋を造ってこの像をお祀りして欲しい。」と言い残して亡くなりました。その後、お参りに行くと大菩薩像から南無妙法蓮華経の声が聞こえたと云われる。
№36 妙覚寺
房総に一基しかないと言われるキリシタン燈籠
弁財天・法の湧き水
№37 妙応寺
№38 圓頓寺
幕末の三筆といわれた市河米庵の筆によると伝えられる。
№39 大徳寺
№40 自性院
勝海舟自筆の句碑が建立されている。
№41 法善寺
行徳の製塩に深い関係があったことから塩場寺とも呼ばれる。
№42 本久寺
眼病に御利益があるとされる。
№43 八幡神社
滝沢馬琴の南総里美八犬伝には、「八幡社の境内で行徳の宿主の倅である犬田小文吾悌順(小文吾・行徳の宿主の倅)と義理の弟である山林房八朗(房八・市川の船主)が相撲を取り、小文吾が押倒しで勝った。」と書かれており、その相撲の舞台になった神社である。
注:どこの八幡神社が相撲の舞台とされたのか諸説あるが、八犬伝では 「八幡社の境内」と、簡単に書かれているので、こぢんまりとしたこの場所(本行徳25)が有力であろう。
№44 横町稲荷大明神
大変なご利益があるということで町内から大切に祀られている。
大明神側、権現道交差点
参考:案内板 交差点・正月特別版 その2へ続く
(前世滝沢馬琴 山口敏太郎タートルカンパニー ミステリーニュースステーションATLAS編集部)