『赤穂浪士』奇妙な逸話の数々…「血染めの岩」の呪いは終わらない

12月になると、赤穂浪士のドラマや映画が多くなる。主君の敵を討ち、雪の中を涙の行進をする浪士たち。この名場面は冬のワンシーンと言ってもよいだろう。

だが、赤穂浪士に纏わる不思議な話はとても多い。以前、アトラスにて浅野匠頭が切腹した当時、その横にあったという「血染めの梅」「血染めの岩」「お化けイチョウの切り株」は、泉岳寺に寄贈され、保管されることになったと紹介した。

これらの「血染めの岩」には、奇怪な伝説がある。

この岩は、田村屋敷と呼ばれる大名の邸宅にあったもので、浅野匠頭の切腹の際、飛散した血が付着した。どす黒く変色した血の跡は、永く岩の表面に残った。まるで、それは浅野匠頭の呪いのように、しぶとく岩に痕跡を残した。 




いつしか、近在の人々は、その岩を「血染めの岩」と呼ぶようになる。切腹からまもなくの事、その岩が怪異を起こした。毎晩、毎晩。唸るのである。

「うぅぅぅぅ」

岩が動くような。死者が泣くような。その悲しげな唸り声に、田村屋敷の女たちは、恐怖に打ち震えた。人々は、切腹した時の浅野匠頭の念が、その岩にとどまったのであろうと噂した。また、この場所には、浅野匠頭切腹の様を見ていたと言われる「お化けイチョウの切り株」という巨木があった。芝居やドラマでは、桜の木の下で浅野匠頭は切腹するが、実際はイチョウの木であったのだ。

都内随一のイチョウと呼ばれ、明治時代には、東京湾を行き交う船から、その姿が確認できたと言われている。当時の伝承によると、葉をたたえた巨大な姿が夕闇のシルエットに浮かぶと、まるで大入道が身構えているようで、やたらにこの巨木が怖かったらしい。

だが、さしもの巨木も、関東大震災には勝てず、火災でまるこげになった。夕闇に浮かぶ黒焦げの巨木。

「ありや、やばいね」
「まったくだ、いつか転倒するんじゃねえか」
「だとしたら、今のうちに切ってしまおう」

ある人が、これではいつか倒れてしまうと、切り倒してしまった。そして、その切り株の跡地には、稲荷が奉られた。この稲荷は大層繁盛し、赤穂浪士を演じる歌舞伎役者なども当時は参拝に訪れたらしい。つまり、それだけ強力な霊験があったわけだ。

「東京伝説めぐり 戸川幸夫 駿河台書房」によると、この「お化けイチョウ」に纏わる怪異現象があった。

祟りは突然やってくる。切り倒した後、その残骸から、まな板をつくった魚屋がいた。

「そんな事したら、まずいんじゃないかい? 」
「おうおう、お いらたち江戸っ子は祟りなんざぁ、気にしちゃいけねえよ」

魚屋は威勢良く、啖呵をきるといちょうの木から、まな板を削りだした。数日後、魚屋は発狂し。死亡した。人々は、浅野匠頭の祟りで死んだと噂したという。流石に浅野匠頭も自分の腹は切っても、自分の最後を看取った木が、まな板に削られるのは、我慢できなかったのであろう。




また、筆者が聞き取りした匿名希望の商店主さんの話だと、こんな怪異もあったらしい。イチョウの木を切り倒した材料で将棋盤を作らせたモノ好きな人がいた。

「あまり、よい趣味とはいえませんが」
「なんのなんの、こんな古木でつくるのは、最高じゃないですか」

そのモノ好きはそう吹聴した。だが、その人も死んでしまった。他にも、風呂たき付けに使った家や、商売の薪に使った銭湯があった。

「こいつは、炊きつけにいいや」
「そうだ、そうだ持ってかえろう」

だが、祟りはしぶとく追跡する。その薪で焚いた風呂屋の湯に入ったお客たちが、突如具合が悪くなってしまった。また風呂の炊きつけに使った家は、自宅が火事になってしまった。

祟りは何百年という時間を越えるのだ。赤穂浪士という美談の陰にも、怪談は息づいている。

(山口敏太郎 山口敏太郎タートルカンパニー ミステリーニュースステーションATLAS編集部)

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