実は四谷よりも怖い!?実話怪談にまつわる江戸のパワースポット!! 

江戸時代の怪談と言えば、お岩さんの祟りがあることで有名な「四谷怪談」が今や代表的である。だが、実在の人物を元にした創作である。

「四谷怪談」よりも怖い江戸時代の怪談で「累ヶ淵」という実話がある。「東海道四谷怪談」で知られている4代目鶴屋南北も、この実話怪談をもとに「色彩間苅豆」(いろもようちょっとかりまめ)という歌舞伎舞踊を作っている。

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この話は下総国岡田郡羽生村(今の茨城県常総市羽生町)で、1612(慶長17)年から1672(寛文12)年の間に起きた事件である。百姓の与右衛門という男がその後妻の連れ娘の助を、脚が不自由で醜い顔をしていたことが気に入らず殺めてしまったことから悲劇が繰り広げられていた。この夫婦の間に生まれた累(るい)という娘も助のような姿に生まれてきたことから、村人達から助にかさなっているということで累の違う読み方になぞらえ「かさね」と呼ばれるようになった。

累は両親を亡くしてしまい谷五郎という男を2代目与右衛門として婿に迎えるが、この男も1代目同様に随分な曲者であった。身よりのなくなった累は同じような流れ者であった谷五郎の身体が悪かったので献身的に看病していたにも関わらず、この男は美人な嫁が欲しくなり累を計画的な殺人で葬ってしまった。それから谷五郎が新しく娶った女は次々に呪われたように亡くなっていった。

6人目の後妻との間に菊という娘が生まれたが、累の怨霊に憑依されてしまった。飯沼村の弘経寺にいた祐天上人という当時の名僧が、累とさらに助の怨霊も次々に除霊をして供養したことで治まったと伝えられている。




数々の魂を慰めてきた祐天上人は1718(享保3)年に亡くなり、東京都目黒区中目黒にある祐天寺に眠り続けている。境内に入れば、哀れな累を祐天上人が救済している感動的な姿が描かれている。累一族の供養のために建てられた累塚もあり、この怪談の演目を演じる歌舞伎役者達が芝居の無事成功を祈りにくることが恒例とされている。

祐天寺の境内の中に建てられている石碑を撮影したのだが、後ろの景色が反射して写り込み中でも他の木や建物と色が違う木のような柱のようなものが見える。この写真に他の写真からは感じなかった違和感を覚え拡大して確認をしてみた。(2019年9月28日撮影)

 

単なるシミュラクラ現象の可能性も疑ってみたが、人の顔のようなものが上からいくつかかさなっているように見えはしないだろうか。ぼやっとしか見えないので心霊写真とまでは判断が難しいが、もしやこのお寺に眠っている怨霊達による累(かさね)現象!?という可能性もわずかながらにあるのであろうか。

祐天寺には徳川6代将軍家宣の27回忌追善から時の鐘としてつかれるようになったと伝えられている、立派な梵鐘があるが亡霊達の未練や罪も年の瀬に108つ浄化されているであろうことを祈りたい。

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(文章&写真:ふりーらいたー古都奈 山口敏太郎タートルカンパニー ミステリーニュースステーションATLAS編集部)


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