【前世滝沢馬琴の江戸奇伝シリーズ】貴重!! 皇居祝福行事が初めて公にされた江戸時代の記録 

画像©凱風快晴(がいふうかいせい)ウィキペディアより

今回は、それまで極秘裏に行われていた皇居祝福行事の内容が、兎園小説によって公に紹介された江戸時代の記録である。

皇居祝福の行事

好問堂録

<皇居祝福の行事は所司代に臨時職命令が出されるほど意義深いものです。表には出ない行事なので一般の人々に知らされることはなく、その行事が行われる土地の者でさえ行事については誰も知らないと思われます。ですから、今回は行事の大体の内容を記載させて頂きます>

毎年正月四日に紫宸殿のお庭で舞踊が行われます。演者の装飾は、三位鳥帽子に大紋、脇には両面が紅の小袖と尤無紋、脇下には白無垢を御召しになられ、腰刀を帯刀されておりました。舞踊では二人の演者が同時に剣を素早く振るいました。

貴族の若者は、万歳鳥帽子に素襟、小泉家の家紋が入ったシャラ熨斗目を御召しになられ、脇差を帯び、扠羯鼓中啓をお持ちになられて、詳しく分かりませんが、「トゥ~タラリ~ラン」と始まる、三番叟の舞に似ている曲節を唄われました。

唄が終わると、一本の柱から十二本の柱を表す各々の神さまの御名が言表せられ、「徳若に御代萬歳、一族も思いやりの精神で立派でありたい。正月に新年を迎える日の朝日から、水も清らかに木の芽吹きが賑やかであるのは、誠に日出づる処であります。」と述べられました。

北面の武士(院の北側を警護する護衛)は、大紋長襟姿で脇差を帯び、御階の左側におりました。北面の武士は、御机に国宝を置いて「いさみませい」と大声を発したあと、靭猿の舞に似ている曲筋を唄いました。

また、太子誕生の儀式も行われました。

<この後は、毎年頂いている本に書いてある内容と同じであると伺っているのですが、本の内容を記載することは出来ませんので、中略とさせて頂きます>

儀式の終盤に差し掛かると、五位殿上人が中啓をお持ちになられて、十二段ある御階の六段目に上がり、西面の武士に中啓を渡しました。そして、西面の武士は豊後に中啓をお着せになりました。

私は弓場殿で休憩をさせて頂き、御料理と御酒と御鏡餅を頂戴しました。

勘解由使は青銅拾貳貫文と米一石を持って、中啓と取り替えました。

中宮さまは、由小袖に袴を御召しになられ、檜扇で顔を隠されながら、女嬬を連れて御庭からお目見えになりまして、御階の上で「いさみませい」と大声を出されますと、倭国御翠殿浄瑠璃が始まりました。浄瑠璃では、大勢の女中の笑い声が御庭まで聞こえる光景や、女嬬が大声を出す光景などが見られ、色とりどりの綺麗な紙切れが散りばめられたかと思うと、銅銭など様々なものが投げ出されたので幾つか頂くことが出来ました。その中に、五色の糸で五枚の壹分判金がしっかりとまとめられたものがひとつありました。如何にも、それは中宮さまが浄瑠璃に用意をして下さったものでございます。

その他の院の御所は目録通りとなります。宮方、公家方へは御召縮緬ですが、素足で草履を履いておられる方々も居ましたので、無礼講と称する宴席の一面もありました。

<これは、皇居からお許しを得た上で、貴族である小泉家の覚書を書き起こさせて頂いた内容であることをお断りしておきます>


画像©「神武天皇」 『日本書紀』における神武東征の一場面。神武天皇が携える弓の先にまばゆく輝く金鵄が留まり、それを目の当たりにした敵兵ども(右下)は怖れおののいている。1880年(明治13年)に刊行。ウィキペディアより




【あとがき】

今回ご紹介させて頂いた皇居祝福の行事は、毎年正月四日と記されていることもあり、新年祝賀の儀に該当するものと考えられる。大体の内容と記されてはいるが、皇居の行事内容が公に紹介されたということで、当時は国中がお祭り騒ぎになったことは想像に難くない。
  
そして今宵、令和元年10月22日に行われた即位礼正殿の儀において、正に日本国の美称であるところの「日出づる処」の言葉に相応しい神憑り的な事象が起こり、世界中に感動を与えたことは記憶に新しい。

ところで、記念行事などが行われ、記念硬貨が発行されることは現在の慣習になっているが、五色の糸で五枚の壹分判金がしっかりとまとめられたものを頂いて感銘を受けているようすが記録から伝わってくる。それでは推測に入ろう。

「五色の糸で五枚の壹分判金がしっかりとまとめられたもの」についての推測

糸各々の色が資料に明記されていないので、五色の糸が使用される日本の歴史的な背景を調べると、陰陽五行説、人間の五徳説、五色糸説(注1)などが挙げられる。そこで、五節句のひとつの節句である七夕でも五色の糸が使用されていることが分かったので、七夕について調べたのである。

歳時記
[唐の宮中において、七月七日は妃嬪たちが七孔針各々に、五色の糸を月に向かって貫き、上手く穴を通すことが出来た者は功徳を得られると伝えられたことから、日本国では考謙天皇によってその行事が始めて行われた]

初学記
[女子、五色の糸を持って金銀の針で貫き、牽牛職女(中国神話の神)に献ずる]

日本書紀
[聖武天皇は、七月七日に文人を集めて七夕の詩を読ませ、七月七日に竿の橋に五色の糸をかけて願いごとをすると三年の内に必ず叶うという漢族の風習を行事とし、それより皇居の恒例行事として必ず行われるようになった]

と各々記されている。また、五節句(注2)の日は江戸時代に公的な行事とされたと伝えられるので、江戸時代に刊行された兎園小説で、皇居の行事が公に紹介されたことと何かしら繋がりがあると考えられる。であるから、五色の糸は中国思想による陰陽五行説に由来するもので、五枚の壹分判金は五節句を意味しているのではないだろうか?
如何にも、五色の糸で五枚の壹分判金がしっかりとまとめられたものは、皇居の伝統奥義が凝縮されたとても素晴らしい縁起物である。

※1死後、極楽浄土に往生したいと願う者が、臨終に際して阿弥陀如来の手から自分の手にかけわたしたとされる五色の糸。
※2伝統的な年中行事を行う季節の節目のことで、中国思想による陰陽五行説に由来するとされる。


画像©慶長一分判 ウィキペディアより

今回の記録紹介について
筆者が参考にした資料は、当時の印刷などの兼ね合いによる脱字や判別不能の文字があった為、“記憶を頼りに書き起こされた大体の内容”を、更に‶大体の内容”で紹介させて頂いたことを陳謝致します。敬具

(前世滝沢馬琴 山口敏太郎タートルカンパニー ミステリーニュースステーションATLAS編集部)

参考:兎園小説・歳時記・初学記・日本書記・ウィキペディア


関連記事

最近の投稿

ページ上部へ戻る