私の身代わりになってくれた父、息子への天からの助言

投稿 ダヨ・ウーチャン 大阪府

アトラスラジオ毎回楽しく拝聴させていただいております。今回は実体験に基づく夢にまつわる話をさせていただきます。話は少し長くなります。

私は結婚後両親と同居し、会社も父の興した会社で父の下で働くようになりました。第一子である長女が出来てから半年も経った頃でした。

早朝、家内が炊事をしていると風呂場から「ビシッ!!」と音がしたということで見に行くと、洗面台の大きなガラスに縦に大きく一本のひびが走っていました。

「なんか縁起悪いな」と思いながらも、新築の家でしたのでメーカーに鏡を交換してもらいましたが、その後1ヶ月くらい経った頃でしょうか、私は毎日繰り返し全く同じ夢を見るようになりました。




その夢というのが・・・自分が深い霧の掛かった場所に居ます。霧が深くて周りは全く見えませんが、そのうち霧が晴れていき荒涼とした岩場に居ます。ふと足元を見ると死体がゴロゴロと転がっています。ここは・・・と思ったところで毎回、目が覚めます。寝汗をかき、非常に疲れてそのうち下腹に発疹のようなものが出来て非常に痒かったことを覚えています。

父の会社は、親戚の叔父二人とバイトの事務の女性、そして私の計4人でした。父は殆ど社長室に居て、私もどこか気まずさも有った為に必要以外は一緒に居ることはありませんでした。しかし、夢を見出した頃から何故か私は社長室で父と二人で一緒に居るようにしました。

何をしゃべるでもなくただ二人で朝から夕方まで社長室で一緒に居ました。その時の会話で唯一覚えているものがあります。父が急に「俺が死んだらなぁ、こういう風にせえよ」と言われたので、私も何の躊躇も無く「わかった。」と答えました。

或る日、父と私は一緒に会社を閉め別々に分かれました。私は家に帰り、父はどこかに出かけていきました。

先に言いました様に、家は新築で広かったので毎日のように誰かしら遊びに来ていました。私が晩御飯を食べていると家族と親戚の叔母がその隣の居間で和んでいます。そこへもう一人の叔母が「今日は旦那さん(父)早いお帰りで」と言って入ってきました。

私が「えー、おとん帰ってないで」と言いましたが「紺色の車有るで」と叔母が言うもんですから「またおとん車で寝とんやな」と思って見に行きました。

家の前は車が5台程止めることが出来ました。私の車は白、家内のは赤、父のものは紺色でした。駐車スペースは街灯も明るく、見間違えるはずはありませんが、父の車など何処にもありません。「おばちゃん車無いやん」と言いましたが、叔母も「おやじさんの車間違えるわけ無いやん」と譲りません。




そんな不思議な出来事があった日の深夜、警察から電話が有りました。家まであと1キロ程というところでの交通事故でした。道路に放置してあった牽引車両に100キロほどのスピードで父の車が突っ込んでの単独事故でした。病院に行くとすでに父は息がありませんでした。

翌日が仮通夜で、次の日のお通夜のときです。玄関に座り弔問客を迎えていると幼馴染が来てくれました。彼の母親はすごく霊感の強い人で「見える、わかる人」でした。彼は顔を合わすなりこう言いました。

「おかんが○○君に伝えてあげてって。本当は○○君が死ぬところやった。お父さんが代わりに持って行ってくれた。」

私にはその意味がすぐに分かりました。父が死んで以来あの夢は見てません。下腹の痒みも無くなりました。

それから2年ほどして息子が生まれました。

息子が7歳の時、廊下ですれ違いざま「こいつはお前らの勝手に育てるなよ」という言葉が私の中に入ってきました。神も仏も信じない私ですが、この時ほどショックを受けたことはありませんでした。ですから即日息子の教育方針を立てました。それは「息子のやりたいようにさせる。天からの預りものとしてとらえ親のエゴを押し付けない。物事は自分で決めさせる」というものでした。

息子は今30歳です。IT関連のベンチャーを起業し、従業員は60人を超えます。彼は一つの志を常に持っています。それは仕事を通じてこの社会を変えていく、社会に良い影響を与えられるような会社にするということです。

(山口敏太郎タートルカンパニー ミステリーニュースステーションATLAS編集部)

画像©Dimitris Vetsikas PIXABAY


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