陰陽道の歴史について

投稿 匿名希望

さて、陰陽道は、陰陽寮で教えられていた天文道、暦道といったものの一つです。

これら道の呼称は大学寮における儒学を教える明経道、律令を教える明法道等と同じで国家機関の各部署での技術一般を指す用語であり、思想ないし宗教体系を指す用語ではありません。

古代の中国で生まれた自然哲学思想、陰陽五行説を起源として日本で独自の発展を遂げた呪術や占術の技術体系です。

陰陽道に携わる者を陰陽師とよんでいましたが、後には 陰陽寮に属し六壬神課を使って占いをし除災のためにお祓いをするものが陰陽師とよばれるようになりました。

陰陽師集団を、陰陽道と呼ぶことがあります。




平安時代中期~後期以降に陰陽道宗家となった家系としては、安倍氏とその嫡流の末裔・土御門家および、賀茂氏とその嫡流の末裔・勘解由小路家がありましたが、勘解由小路家は戦国時代から江戸時代初期にかけて断絶し、賀茂氏庶流・幸徳井家は明治以降消息不明となりました。

現代においては、土御門家およびその庶家・倉橋家の子孫が健在しますが、明治維新以降は陰陽道との関わりを絶たれ、現代に至っては全く陰陽道と無縁です。

福井県大飯郡おおい町(おおいぐん)に現存する神道の教派・ 天社土御門神道 は、歴史的に陰陽道および土御門家と関わりのある組織です。

幕藩体制が確立すると、江戸幕府は陰陽師の活動を統制するため、土御門家と賀茂氏の分家幸徳井家を再興させて諸国陰陽師を支配させようとしました。

やがて土御門家が幸徳井家を圧し、17世紀末に土御門家は民間の陰陽師に免状を与える権利を獲得して全国の陰陽道の支配権を確立しました。




江戸時代には、陰陽道はもはや政治に影響を及ぼすことはなくなりましたが、民間で暦や方角の吉凶を占う民間信仰として広く日本社会へと定着し、その活動は、だましものと扱われた者も非常に多く、後の占い禁止につながるものです。

それらを声聞師とよび、士農工商に該当しない、身分の低い賎民として扱われました。

明治維新後の1870年(明治3年)に至り、新政府は『天社禁止令』を発布し、陰陽道を迷信として廃止させました。

現代には土御門家の開いた天社土御門神道と、高知県香美郡物部村(現在の同県香美市)に伝わるいざなぎ流を除けば、暦などに名残をとどめるのみです。

しかし、昭和天皇が福井県をご巡行のおり 「土御門家は、どうなっておりますか?」と仰せになられ、行政をあげての復興とあいなったのであります。

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(山口敏太郎タートルカンパニー ミステリーニュースステーションATLAS編集部)

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