「山百合の絵」と母の死

投稿 神奈川のM

今回もアトラスラジオでのお話しから想い出す事があってお便りします。

モンゴル出身の横綱(名前を失念)の誕生日が3・11で・・・という下りで、色々と想い出しました。奥多摩出身で茶色い河童を見た!と言っていたウチの母の命日が、平成4年6月11日だったのです・・・・・・。

アメリカのテロが9・11、東北の大震災が3・11そしてウチの母の命日が6・11・・・・・・。実は以前からこの関連に気付いていました。偶然だと思うのですけどね・・・・・・。

母が息を引き取ったのが、都内旗の台にあります昭和医大でした。実はこの瞬間から、僕の周りに不思議な事が起こり始めました・・・・・・。

母が亡くなり、葬儀屋の霊柩車というのか、貨物車というのか、それに母の身体を乗せて病院裏から外に出る時に「さ~~~っ」と雨が降っているんです。静かに綺麗な印象の霧雨の様な雨でした。僕には天が泣いてくれている様な感じで思えました・・・・・・。




実家はK市にあり東京の隣ですから、一時間ほどクルマで走って母の身体を実家に連れて帰りました。近所中が大騒ぎになって、次から次にご近所のおばさん方がウチに訪れて大変でした。

全ての葬儀が終わり香典返しで、来て頂けた方達の人数を数えましたら、何と350人以上となりました。生前の母の人柄が、今更ながらよく分かりました・・・・・・。僕が死んでも葬儀には10人くらいしか来てくれませんから(笑)

僕は雨の事が気になって、心配して来てくれた知り合いのおばさんに夕方、雨が降ったか?と聞きました。「雨など一滴も降っていないよ」と言われました。『やっぱり、あれは病院の周囲にだけ降った雨だったんだ!』と確信しました。

そんな事があったのですが、この間も僕の頭は変になっていました・・・・・・。母の身体を居間に寝かせて、葬儀屋とお通夜と本葬の打ち合わせをしている時に葬儀屋から書類を渡されて、役所に行って火葬許可書をもらって来てくれと言われました。火葬許可書がないと葬儀の日程が決まられないのだそうです。

僕は母が亡くなった瞬間から頭が変になっていましたからいざ書類を書こうと思ったら実家の住所が分からないのです・・・・・・高校を出るまで暮らしていた実家の住所がです。K市M区・・・・・・???全然この後が出て来ないのです。最終的には妹が僕の異変に気付き、書類を書いてくれたので後は繋がりましたけど・・・・・・。

そしてお通夜、本葬となるのですが、この時も僕はズッと変でした。僕はイラストレーターですから、以前描いた山百合の絵があって生前、母がこの絵を凄く気に入っていたので額装して実家の壁に飾っていました。

実家は団地の一室ですから、葬儀は団地内の集会場を借りて行いました。このお通夜の昼間だったのですが、6月の中旬になっており大分蒸し暑く少し汗もにじむような感じだったのですが僕だけ集会場で、寒くて寒くて、身体がだるくて座っていることもきつくなってしまったのです。ですから親戚のおばさん達も、「お前は実家の部屋で休んでおけ!」となって僕だけ部屋に戻って横になっていました。でも寒さは激しくなるばかりで、毛布を被って寝ていました。

その時なのですか、寝ている僕の耳元で誰かが話し掛けるんです。なんだか「出せ!出せ!」って聞こえるんです。出せ!って何の事か分からず、毛布にくるまってウトウトしていたのですが・・・・・・ふと部屋の壁を見上げると、山百合の花の絵が壁にかかってないのです。

そうなんです、父が相談もなく勝手に山百合の絵を額から出して棺の中に入れていたのです。

僕は携帯電話で集会場にいる父に電話しました。そして山百合の絵をどうした???と聞きました。案の定でした。僕は父に言いました「多分、母の魂が僕のところに来て、山百合の絵を出さないと、この絵を描いた僕も、あの世に連れて行かれる!」って
伝えているんだと思う。と言いました。




霊など全く信じない父ですが、この時ばかりは急いで棺を開け山百合の絵を棺から出しました。その後が不思議で、30分ほど経つと毛布をかぶって横になっていた僕が・・・・・・暑くて暑くてたまらなくなって来て、起き上がっても変なだるさも無くなっていたのです。ですから、楽になったのでその後はお通夜、本葬にも無事に参加して執り行う事が出来ました。

そうは言っても僕の頭は変になっていましたから本葬の時に、身軽になった母が集会場の周りをフラフラと歩き回っているのに気付いていました。

この時、人は死んでもその先がある!と教えてもらった気がしました。入院は2週間ほどでしたが、それまでの一ヶ月ほどはセキが止まらず、眠れないので凄く苦しそうでした・・・・・・。でも悪くなった身体から離れた事で、母は嬉しそうにして兄弟や親戚、友達が来てくれていましたからその姿を見て喜んでいましたね~(笑)。

この葬儀の後も、色々ありまして・・・・・・どうも母の影響で霊感が強くなっていた様で、ある日仕事の打ち合わせでガラガラの電車に乗って昼のウチに都内に向かっていました。僕の乗った車両には、他に三人位しかお客さんが乗っていませんでした。僕は腕を組んで電車の揺れに合わせてウトウトとまどろんでいました。

すると気配がして、進行方向から一人のサラリーマンが歩いて来たのを感じました。そしてワザワザ僕の左横に来て座ったのです。ズシッと横のイス部分が沈んだ感覚もありました・・・・・・。

何故だかサラリーマンの男だと分かっていましたから「ホモが来た~!」って思って、ゾッとしながら目を開けて横を見ました。

誰もいないのです・・・・・・。気持ち悪いので直ぐに、人が乗っている前方の車輌に移動しました。

墓参りに行った際も、白い着物の人の姿も見ましたがウチのお墓は由緒あるお寺に買ったので、お寺さんでの供養が利いていてその白い着物の方々も実に静かで穏やかな感じでした。ですから怖くもなく、目があえば会釈もしました。以前、大きい霊園などでは広過ぎて、どうしても供養が足らない場合があって幽霊騒ぎが起きやすいとも聞いていましたしね・・・・・・、

僕の仕事場兼自宅アパートにも、どうも母がよく来ていた様でその事には気付いていました。ある時、イラストの仕事が山となってイライラしている時に母が来たのが分かりました。イライラしていた事もあって、つい「お前、どうせ暇なんだから夕飯くらい作ってくれよ!」って言っちゃったんです・・・・・・。

その後、台所がガタガタ鳴り始めて、焦りました・・・・・・。母が夕飯を作ろうと料理をし出したのが分かったのです。でも霊感が上がってはいても、母が作った料理を食べるだけの能力が無いのも分かっていたので、急いで台所に行って「ゴメンなさい!母がいるのは分かるんだけど、食べるだけの力はないから、もう作らなくていいです!」と謝りました・・・・・・。

それ以後、母が来るとお茶を入れて仕事場のテーブルにお供えする様になりました。母にまつわる不思議な体験の数々でした。

こんなおかしな事がしょっちゅう起きていましたが面白いもので、3回忌をお寺さんでやった日から上がっていた霊感がハタッと止まりました。母は54歳で逝きましたから、もっと長生きしてくれていれば更に面白い事が起きたのだろうな~と今でも思っております(笑)。

そんな僕ですが、昨日もUFOと思われる光体を見てしまいました・・・・・・。

UFOと霊って、何か関連付いているのでしょうかね?

画像©こうこう きちでん PIXABAY


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