芥川龍之介の自殺は狂言?原稿用紙についた他人の血痕





芥川龍之介と言えば、日本代表する文豪であることは言うまでもない。風変わりな人物であり、アトラスでも度々取り上げている。

晩年は「自分のドッペルゲンガーを目撃した」と言われたり、また知人の体験談として柳田國男に天馬の目撃談を語っている。さらに、植物の異常から関東大震災の発生を予言したこともあったとされている。




1927年7月24日、芥川は自殺をしてしまうわけだが、たびたび周囲に自殺をほのめかしており、早朝に自殺を決行したことから「発見してほしい気持ちが強かった」と指摘されている。つまり、薬を飲んで酩酊した状態を発見されるといった狂言自殺が、本当の自殺につながってしまい、命を落としたとも言われている。

1927年7月23日、自殺前日に芥川を訪ねた編集者は、机上に「人を殺したかしら」という原稿があるのを見つけ、手に取ろうとしたが「それは失敗作だ」と芥川に激怒され読むことができなかった。その原稿は芥川がその場で破り捨ててしまった。




翌日、芥川は大量の薬を摂取した状態で死んでいるところを発見された。なぜか前日に芥川が破り捨てた「人を殺したかしら」が清書をされた状態で置かれていた。

また、遺体のそばには「ただぼんやりとした不安」とだけ書かれた原稿用紙が置かれており、その原稿用紙にはなぜか他人の血液が付着していた。なぜ、他人の血液が芥川の遺書に付着していたのかは未だにわかってはいない。

(山口敏太郎 ミステリーニュースステーションATLAS編集部)

画像©ウィキペディア「1919年(大正8年)長崎滞在中の写真。左から2番目が芥川龍之介、一番左は菊池寛。」より


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