【歴史ミステリー】日本ペルシャ流入論!平家はペルシャ人であった?≪前編≫





我々日本人のルーツをアトラスでも度々取り上げてきた。最も有名な例は古代ヘブライ人が日本に移住したと言う「日ユ同祖論」である。聖徳太子をバックアップした秦氏はヘブライ系と呼ばれている。。

当然、藤原氏に代表される中国系と思われる氏族も存在するし、朝鮮半島から渡来した氏族も存在する。他にも東南アジアや北方からやってきたロシアをルーツに持つ一族も存在する。それぞれのルートを使って古代から何度も渡来し、混血を繰り返し日本人が成立したと思われるのだ。

中でも、筆者こと山口敏太郎が注目している日本人のルーツがペルシャである。古代の日本や中国には、ペルシャから多くの人々が移住したという記録がある。イスラム帝国によってササン朝ペルシャが651年に滅びてしまった。国を失ったペルシャ人たちは東に向かい、中国・宋に定着した。




宋の都長安には数万人の胡人(ペルシア人)が居住していたとされ、かの楊貴妃は中国の蜀出身ということであるが、ペルシャとの混血だと言われている。755年、楊貴妃の肉親・楊国忠が宰相になった時が楊貴妃のピークであり、その後楊貴妃の一族は政権中枢から追われることになる。

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中国でこれだけの勢力を誇った胡人(ペルシア人)は当然日本にも渡来していた。彼らがいつ頃、日本に本格的に定着したのかは不明だが、胡人が貿易で取り扱った胡椒は天平勝宝8年(756)、聖武天皇の77日忌に記録された遺品の中に見ることができる。この頃には上流階級の間では定着していたものと推測される。

日本に渡来した胡人は、貿易業を中心に行い日本の社会に定着していった。「日本三代実録」の記述によると862年に15人もの人物が平と言う姓を賜っている。さらに驚くべきことに「興福寺大乗院寺社雑時記」には京都三条坊門に貿易を行っていた渡来人が住んでいたが、それらの渡来人は平という姓を名乗っていたと言うのだ。つまり、日本にやってきた胡人は平家になっていたのだ。




そもそも、平家は突然日本史の表舞台に現れる一族である。中国の宋でも政権中枢に食い込んだ彼らが、商売により蓄財した財力を武器に日本でも急激に力を伸ばした可能性はあり得る。

平家がペルシア人だとしたら、不可解なことも納得がいくことが多くなる。厳島神社はゾロアスター教の寺院という解釈があり、祀っている弁財天はインドの「サラスバディー」がルーツとされているが、ペルシャの水の女神「アナーヒター」こそ我がルーツだという説もある。(≪後編≫に続く)

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(山口敏太郎 山口敏太郎タートルカンパニー ミステリーニュースステーションATLAS編集部)

画像©keegeek PIXABAY


 

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