上記画像©水木しげるロード(山陰水木net)より




携帯電話端末などの絵文字が使用される日本文化は世界的にEmojiとして普及し、2015年には米国のオバマ大統領から阿部総理大臣との会談時に日本発祥の代表的な文化の1つとして挙げられ感謝の意が示されたことは記憶に新しい。

実は、江戸時代にも近代絵文字文化と似たような、【絵考へ】という文化が日本では流行していたのである。江戸時代の大人気作家であった山東京伝(1761年~1816年)が煙草屋を開業し、宣伝の為に絵入り(絵文字)広告を作ったところ、絵入り広告は大評判となり、また、京伝がデザインした煙草入れも大流行して京伝の煙草屋は東京のブランド店として大繁盛した。それを発端に京伝の絵入り広告を真似する芸術家や商売人が増え、次第に人々の間では、「この絵入りで書かれた文章はなんと読むでしょうか?」といったようなクイズへと発展し、流行する運びとなったようだ。






絵考へに描かれている絵文字の中には、何と読んだら良いのか現代人には到底理解出来ないような謎めいた絵文字が複数あり、中には妖怪を連想させるような絵文字もある。妖怪の派生理由については殆ど分かられていないのが現状であり、筆者は江戸時代に流行した絵入り広告や絵考へに派生理由のヒントが隠されているのではないかと思い、妖怪を文字として考えてみることにしたのである。

試行錯誤している内に、一ツ目小僧の「一ツ目」をそれぞれの文字を組み合わせ、ひと文字にすると「頁」という字になったのは良いのだが、果たしてそんな漢字はあるのだろうか?という疑問が沸きあがり、総画数などから調べてみたところ、その疑問が功を奏して、一ツ目小僧の仲間と考えられている豆腐小僧の派生理由について一石を投じることになったのだ。

先ず、妖怪の豆腐小僧について簡単に説明をすると、江戸中期(1651年~1745年)頃の書籍類に突如登場し、紅葉豆腐を手に持つ子供姿の妖怪で、草双紙や黄表紙、怪談本などに数多く登場し、その容姿は一ツ目や二ツ目など様々なバージョンで描かれている。江戸中期頃というと京伝が活躍した時代よりも古くから登場していた妖怪である。江戸時代中期に妖怪として人々に目撃されたのか、それとも何者かによって考案されたのか、或いはそれより遥か昔から存在していた妖怪であろうか?

   

江戸中期以前から登場していた有名な妖怪に「鵺(ぬえ)」と呼ばれる鬼胎な存在がある。平家物語に登場する源頼政の鵺退治(平安時代末期頃)は有名な伝説であるが、江戸時代から明治時代にかけて「鵺は本当に存在するのか?」といった物議が人々の間で醸されていたことが伺え、蟇目神事(※1)では四隅に矢を放って邪気を払うことから、四隅に該当する干支の動物を組み合わせて鵺の容姿(※2)が出来上がったのではないか?という説を肯定する作家も存在したようだ。

※1神社などで行われる、鏑矢 (かぶらや) を射放ち邪を払う行事。
※2諸説あるが、顔は猿、胴体は狸、手足は虎、尾は蛇の容姿をしている。
※参照URL 干支の猪と妖怪の鵺(ぬえ) 






それでは本題に戻ろう。「頁」を大漢和字典で調べてみると、【音読みで「けつ」「よう」、訓読みで「かしら」「ぺーじ」】と読み、大漢和辞典で引用されている中華大字典によると『「ぺーじ」の読み方は「葉(ようと)」同じである。』と説明されており、音読みの「けつ」と「よう」が発音上無関係な点について大漢和字典の説明によると、【樺太のことを「庫葉島」と言い「庫頁島」とも書かれていた。】とされている。つまり、江戸時代、或いはそれよりも昔に庫葉島と庫頁島は同じである(※3)という文章を絵に表して豆腐小僧が出来上がったのである。であるから、複数のバージョンで描かれている豆腐小僧のオリジナルは、一ツ目顔で葉の描かれた豆腐を持っている小僧の姿をしているものと推測できるが、決定的な文献は見つかっておらず、正式名称なども不明である。

※3庫葉(豆腐に描かれている葉)島と庫頁(分解すると一ツ目)島、島(とう)が二(ふ)つでとうふ

参考:大漢和字典、中華大字典 ウィキペディア

(前世滝沢馬琴 ミステリーニュースステーションATLAS編集部)


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