【徳川の結界】伊達政宗を封じた北向毘沙門天!…は上杉謙信の御霊か?





東京都新宿区須賀町13-3に本性寺という古刹がある。同寺には北向毘沙門天が祀られている。何故、毘沙門天が北向かいに祀られているのか。筆者はここに徳川家の伊達家に対する呪い、結界を見てとれる。以下詳しく解説していこう。

まず問題となるのが、徳川は果たして本当に伊達を警戒していたのかという事だ。事実、軍事面でも伊達の動きを牽制するために、賤ヶ岳七本槍の一人、加藤嘉明を、1627年に松山藩から会津藩に移している。加藤は外様と言えども家光の信任厚い人物であったからゆえ、東北の抑えとしたのだ。




当然、その当時の常識である霊的結界もはっていた。あくまで筆者の見立てだが、日光東照宮には「眠り猫」という有名な木彫りがある。この猫は世界的にも有名だが、実は裏側にもある文様が施されている。この猫の裏側には「踊り雀」という文様があるのだ。筆者はこの雀こそ「伊達家」を表しており、寝たふりをしながら薄目を開けて踊る雀を監視している眠り猫が「徳川幕府」ではないだろうかとよんでいる。因みに仙台の伊達の家紋は『竹に飛び雀』である。

しかし、用意周到な徳川がこのくらいの結界で伊達への呪いを止めるとは思えない。筆者は他の霊的仕組みを探していた。そこで見つけたのが本性寺の北向毘沙門天である。




毘沙門天(梵名: ヴァイシュラヴァナ)は、仏教における天部の仏神であり、広目天、持国天、増長天と共に四天王の一尊にあたる。しかも、この毘沙門天は元々江戸城の本丸にあったものが移された経過があるという。北向かいとは伊達の勢力に対する監視であることは明らかだ。

あくまで筆者の推論と前置きするが、この毘沙門天は上杉謙信に見立てたものではないか。毘沙門天の生まれ変わりと称し、旗に『毘の一字旗』を使った軍神・謙信の御霊を徳川はこの毘沙門天に込めて、伊達への霊的システムと見なしたのではないだろうか。関ヶ原の折も上杉勢に煮え湯を飲まされている伊達。彼らへの牽制としては的確であるのかもしれない。山口敏太郎の結界分析はこれからも続く。

(山口敏太郎 ミステリーニュースステーションATLAS編集部)

画像©山口敏太郎


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