【楠木正成ミステリー】後醍醐天皇の夢告と四天王寺の未来記





「靖國神社に何故、楠木正成の像があるんですが?」というファンの質問に愕然とした。大楠公(だいなんこう)」と呼ばれ幕末の志士たちからも崇められた楠木正成。建武の新政の立役者という偉業を考えれば、反日勢力が狙らう靖國を守護する結界として、その像が建立された理由が自ずと理解出来る。大河ドラマの「太平記」では、筆者がファンである武田鉄矢が好演した事を覚えている読者諸兄も多いだろう。

楠木正成は大阪府南河内郡千早赤阪村に居を構え、橘諸兄の子孫とも言われる悪党である。悪党と言っても現代語の意味とは違う。新興土着の武士集団という意味合いである。




楠木正成後醍醐天皇の出会いには不思議な逸話が残されている。「太平記」巻第三「主上御夢の事 付けたり 楠が事」によると、元弘元年(1331年)8月27日、鎌倉幕府の圧力から逃れるために、後醍醐天皇は宮中を脱出、皇居を笠置山の笠置寺とした。

すると後醍醐天皇の夢に不思議な童子が現れ、南に枝が伸びた大木の下に玉座があると告げた。これにより、後醍醐天皇は楠木正成を知り、両者の歴史的な邂逅が成り立った。

誠に不思議な話だが、オカルト好きにとって楠木正成は「聖徳太子の未来記を読んだ人物」として知られている。聖徳太子は予知能力に長けていたとされる。「日本書紀」によると、「厩戸皇子、壯(そう)に及びて未然を知る」と記述されている。つまり、予め起こることがわかったというのだ。




「太平記」巻6にある「正成天王寺未來記披見ノ事」によると、楠木正成が天王寺合戦で鎌倉幕府軍を打ち破った後、四天王寺に参拝している。かつて逆臣・物部守屋を討った聖徳太子を正成は崇拝していたのであろうか。長老の僧の計らいでこの時「聖徳太子の未来記」(未来記、未然記を併せて読んだという説もある。この聖徳太子の予言書「未来記」は「日本国未来記」、「未然紀」は「未然本紀」と称され、太子の死後、622年から1621年までの1000年間の出来事が記されているという)を読み、自らの運命を悟り、幕府との戦いへ思いを新たにした。

今も靖國神社に鎮座し、東京を守護する楠木正成像を見上げるたびに胸が熱くなる。

(山口敏太郎 ミステリーニュースステーションATLAS編集部)

イメージ画像©写真素材足成


関連記事

最近の投稿

ページ上部へ戻る