日本最後の斬首刑者・高橋お伝、遺体さえもその数奇な運命に翻弄された…





今から140年前の明治12年(1879年)1月31日、「希代の毒婦」「悪女」と称される高橋お伝が処刑された。お伝は日本最後の斬首刑となったことで知られるが、死後様々な伝説を残している人物でもある。

高橋お伝(本名:でん)は明治9年(1876年)ハンセン病を患った夫を毒殺。その後、浅草の宿屋で古着商の後藤吉蔵をかみそりで殺害して金を盗むという、強盗1件殺人2件を起こした罪で捕まった(※夫殺害はお伝の仕業ではないという説もある)。

そして、明治12年に東京裁判所で死刑判決をうけ、江戸時代の死刑執行人・八代目山田浅右衛門の弟である山田吉亮により斬首刑に処されることになった。




この際、お伝は「申し上げあることがございます!」と突然、逮捕されるまで一緒に住んでいた最愛の男の名前を叫び始めたという。いつまで経っても叫び終わらないので、獄卒(獄で囚人を取り扱う下級の役人)がお伝を押さえつけ、山田が一刀を振り下ろしたが、お伝が暴れる続けるために刀が彼女の後頭部に当たると、頭から血をダラダラと流れる始末だった。

慌てて刀を再度振り下ろすと今度はアゴをかすめてしまった。この時のおびただしい流血しながら叫ぶお伝の姿は、さすがの山田も見るに耐えなかったという。

そして、ようやく3回目にして山田はなんとか処刑を終えた。このように日本最後の斬首刑はかなりグダグダな状態だったのだ。




さらにお伝に関しては別の伝説がある。

警視庁により解剖されたお伝の遺体の一部はホルマリン漬け(アルコール漬けという説もある)にされて東京大学の医学部に保管されたが、後に泥棒に盗まれ行方不明になってしまったという。

そのうちお伝の陰部にあたるホルマリン漬けは昭和31年、港区内のゴミ捨て場に放置されて、何者かによって回収されたらしいが、今はどこにあるのかわからないという。

(文:穂積昭雪 ミステリーニュースステーションATLAS編集部)

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