パワースポット上毛三山伝説 第壱回

上毛三山とは群馬県内の赤城山、榛名山、妙義山を総称する名称であり、パワースポットとして名高く、それぞれ赤城神社、榛名神社、妙義神社が鎮座しており、不思議な伝説が数多く残されている場所でもある。

それでは早速ご紹介しよう。

赤城神社






昔、高野辺大将家成という公家がおりましたが、冤罪によって上野國勢多郡深栖という山里に流されてしまいました。そこで年月を過ごすうちに、息子一人と娘三人をもうけました。

息子が成人した折、都に上がり母方祖父と共に帝にお目通りすることが叶い、仕官を許されました。三人の娘たちは深栖で暮らしていましたが、母は38歳で亡くなってしまいました。娘はそれぞれ7歳、9歳、11歳でした。

父の大将家成は、その年の秋に再婚しました。ある晩、継母は命知らずの荒くれ者である弟の更科次郎兼光を呼び、「前妻の娘たちは何れも美人で、おまえに嫁がせようとしたが、田舎者の卑しい男と言って嫌っている。最愛の弟を馬鹿にされた恨みを晴らさねば。」と弟をそそのかしました。

次郎兼光は赤城山で7日間の巻狩をするとお触れを出して多くの人を集めました。そして、次郎兼光は大室太郎、淵名次郎を切り殺し、淵名宿に押し寄せて、淵名の女房と16歳になる淵名姫を倍屋淵に沈めて殺しました。

伊香保宿にも押しかけて伊香保の姫君を殺すと聞きつけた伊香保大夫は、子供九人、婿三人を大将として城郭を構えて待ち受けしていたので、伊香保の姫君は無事でした。

大室宿にも押し寄せ、火を懸けられて、一方より逃れる人々は次々に殺されたのですが、大室の女房は赤城の姫君を担いで赤城山へ逃げました。

山へ逃げ行った大室の女房は男の従者も連れずに姫君と共にさ迷いました。姫君はか弱い声で「山の護法神・木々の神々よ、私達の命をお召し下さい。」と叫びました。すると谷の方角より美しい一人の女性がやって来て、「驚くことはありません、あなた方に会いに参りました。」と、懐より菓子を取り出して二人に勧めました。

口に含むと今までに食べたことのない味わいで、疲れも癒されました。山に入って5~6日が過ぎ、大室の女房は亡くなってしまいました。姫君は屍に「どうか私もお連れ下さい。」と添え伏して泣いておりました。そこへ、美しい女性の姿をした赤城沼の龍神が現れました。「この世は、命はかなく夢・幻のようであります。竜宮城という、長生きの素晴らしい処へと案内します。」と姫君をお連れになりました。






姫君は赤城沼の龍神の後を継ぎ赤城大明神となり、大室夫婦も従神の王子の宮となりました。その後、継母の更科と次郎兼光は全て予定通りことを終えて月日を送っていました。

大将家成は上野の國の国司に赴任して間もなく、国の様子が詳しく伝えられて大変驚き、「死んだのならどうしようもないが、娘達の死んだ場所へ向かおう。」と決め、国元へ下りました。赤城の姫君は山道で迷い獣の餌食になったかも知れないので行って見ても辛いだろうと、淵名姫が沈められた倍屋淵に向かい河岸に降り立ち、「淵名姫はおらぬか、父だよ、昔の姿を見せておくれと。」と叫びました。

すると、波の中から淵名姫が父と別れた時のいでたちで淵名の女房と手を取って現れました。姫は「継母から恨みを受け、淵の底に沈められてしまいました。しかし、亡くなられた母が日に一度、天上界より下り、赤城山とこの淵に通って下さいます。神仏のお導きによって自在に空を飛べるようになりました。また、御法を説いて頂き、前世の罪やけがれも消えて神となってこの世の全ての人々を導くことになりました。

ありがたい説法を聞き、公徳を得て菩提薩と名付けられました。必ず父もお導き致します。」と云うと、赤城山の上より倍屋淵に紫雲が覆い、美しい音楽が流れてきました。淵名姫は父に別れを告げ、多くの仏様に交じり、その雲に入って行きました。

国司は「我が娘よ、私も連れて行ってくれ。」と倍屋淵に飛び込んでしまいました。すると、紫雲が再び戻り、倍屋淵を覆い隠してしまいました。

中納言の職についていた大将家成の嫡子である左少将殿は、二人の姉と父の自害の知らせに驚き、帝には知らせずに急いで東国へ下りました。

帝はこの話を聞いて、何もしてやれなかったと、都で一番の早足の者を呼び、東海・東山道諸国の軍兵に、中納言が東国へ下る道中を援護するように命じ、中納言には新たな国司になるよう命じました。中納言が都を出るときは七騎だった護衛が、府に着いたときには五万騎余りの護衛になっていました。

中納言は次郎兼光を捕まえ拷問の上、首に石を付けて淵の底に沈めました。継母も同じ淵の底に沈めてやろうと思いましたが、「生死は報いありというは誠なり、無情なことも出来まい。」と言って信濃の国に追いやりました。

信濃の更科宿の継母の父は、疎みながらも親子の仲である継母と継母の娘の面倒をみていました。信濃の国司は上野の国司と大変親しい間柄でしたが、「中納言は不思議なことをする。父・姉妹の仇の命を助け、わが信濃国へ追い払うとは理解できぬ。また、このような極悪人を養う親も鬼である。」と、継母の面倒をみていた両親を殺してしまいました。

しかし、継母と娘は何処ともなく消えてしまい、その後、甥の更科十郎家秀を頼って現れました。十郎家秀は、「祖父母を始め、一門は一体何故に破滅させられたのか?お前のせいだ。」と言って、母子を編駄という物に乗せて宇津尾山に捨てたその夜、夕立が起こり母子ともに雷に打たれて死んでしまいました。これより、宇津尾山は伯母捨山と云うようになりました。

上野國の国司は、父と妹が亡くなった跡を崇めて淵名明神神社を建て、次に赤城の沼に行き、赤城御前に会うために山へ登りました。黒檜山の西の麓にある大沼の崖に下りて祭祀を斎行していると、大沼東岸の障子返しという山の下より、左右の翼の上に煌びやかな御興のある鴨が向かってきました。

一基の御興の上に妹の淵名姫と赤城御前が乗っており、その後ろには淵名の女房と大室の女房が、御興の左右には淵名次郎と大室太郎が陰萌黄色の装束に透額の冠を身に着け、腰には太刀を帯び、轅を持って立っていました。国司は涙に咽び、二人の姫君も兄御前の懐に飛び込んで、「私達は、この山の神となって神通の徳を得ました。

妹の伊香保姫も神道の法を得て、現世の人々を導く身となります。兄上もまた、私達と同じように神とお成り下さい。母御前が天より降りて来られます。」と語り、涙を流すと国司もまた声を上げて泣きました。そこへ、母御前が紫の雲に乗って三人の子供たちの処へ降りて参りました。母は、天上界の不退の法を説いて、「皆、嘆くことはありません。

何事も前世からの定めです。今は、この世の人々の幸福を願いなさい。」と言って天に上がって行きました。二人の姫も帰り、鴨に「どうかこの湖に留まり、神様の御威徳を現し、後の世の人をお導き下さい。」と哀願しました。すると、その鴨は国司の願いを聞き、大沼に留まり小鳥ヶ島となったのです。






その後、国司は大沼を出て小沼の岸を歩くと父の大将が現れ「子供達の行く末を見守るため、ここに留まっている。」と語り続けて泣いていました。国司も涙の袖を絞り、共に泣きました。そこで、数千人の大工を集め、大沼と小沼の岬に赤城神社と小沼宮を建て、神々をお祀りしました。

国司は赤城山を降り、群馬郡の地頭である有馬の伊香保の大夫の宿に到着しました。妹の伊香保姫は、急いで国司の元に走り寄り、兄の膝に額を付けると、そのまま気を失ってしまいました。

国司も共に気を失い、伊香保大夫の女房が慌てて近寄り左右に揺さぶり起こすと国司は目を覚まし、「今は私達2人だけになってしまいました。私は都に戻るので、この国の国司職を姫に差し上げましょう。伊香保大夫を後身として、全ての政治を正して、この国を平和に治めなさい。」と仰いました。伊香保大夫と女房は「この姫君のお世話は十分に致します。

他でもない、妻の弟の高光中将殿を婿に取り、国司職は伊香保姫と共に行いましょう。」と答えました。そして、今の総社が建っている所が伊香保姫の住んでいたところです。赤城の神様にお願いした女性の願い事は叶えられ、この神様にお願いすると美人の娘が授かると云われています。

筆者は平日、前橋駅から路線バスで約1時間かけ、山頂の大沼(カルデラ湖)に鎮座する大同赤城神社まで行って参りました。途中、沢山のカーブと速度制限があり、乗り降りする乗客も少ないためか、バスの運行時間が多少前後している様子で、本数も少なく、赤城神社は複数存在するので、お出かけの際は、事前に目的の赤城神社や交通手段などをしっかりと把握しておくことをお勧め致します。

四季折々の大自然の景色に恵まれた湖に鎮座している赤城神社とその周辺は、壮大かつ幻想的な雰囲気で、女性の願い事を叶えるという伝説の如く綺麗な場所でした。地元で採れた山菜を使用した食べ物がとても美味しかったです。

参考・赤城神社縁起 赤城神社公式HP ウィキペディア






≪赤城神社(正式名称)≫
他の赤城神社と区別するため「大洞赤城神社」とも呼ばれる。関東地方を中心として約300社ある赤城神社の本宮と推測されるうちの一社。

〒371-0101 群馬県前橋市富士見町赤城山 4-2
公式HP http://www.akagijinja.jp/

(前世滝沢馬琴 山口敏太郎タートルカンパニー ミステリーニュースステーションATLAS編集部)

トップの写真©写真素材足成 そのほかの写真©前世滝沢馬琴

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