干支の猪と妖怪の鵺(ぬえ)

鵺とは、平家物語などに登場する『夜中に鵺の声で不吉に鳴く得体の知れない』妖怪のことで、「顔が猿、胴が狸、手足が虎、尾が蛇」など、幾つかの獣を合成したような容姿をしていると伝えられており、ギリシア神話に登場するキマイラと同一視される場合もある。

それでは先ず、平家物語で述べられている源頼政の鵺退治の話を簡単に紹介しよう。

源頼政の鵺退治

『毎晩のように清涼殿に黒煙と不気味な泣き声が響き渡るので、二条天皇はそれに恐怖を覚えていた。そして遂に、二条天皇は病気になってしまい、薬や祈祷を行っても二条天皇の病気は癒えなかった。そこで、側近達はかつて、源義家が蟇目神事(音の鳴る鏑矢を用いた行事)によって怪事をやませた前例があったので、弓の達人である源頼政に妖怪退治を命じた。頼政は源頼光より受け継いだ弓を手にし、部下の猪早太(諸説あり)を連れて妖怪退治に出かけた。すると、清涼殿を不気味な黒煙が覆い始めたので、頼政が山鳥の尻で作った尖り矢を射ると、悲鳴と共に鵺が二条城の北方あたりに落下し、すかさず猪早太が取り押さえてとどめを刺した。その時、宮廷の上空には、かっこうの鳴き声が聞こえ、静けさが戻ってきた。これにより天皇の体調もたちまちに回復し、頼政は天皇から獅子王という刀を賜った。』

※源三位頼政840年記念特別展ポスターより(茨城県古河市三和資料館)




鵺の容姿などについて文献により違いがある為、江戸時代から明治時代にかけては、鵺という妖怪の容姿や本当に存在するのか否かと、人々の間で物議が醸されていたようである。現在で言うところのUMAやUFOといったところだろうか?

現在、鵺の正体はとらつぐみの鳴き声であることが定説になっているようだが、漢字などから見ても容易に想像できるが、夜に聞こえる鳥の声全てが鵺と表現されていたとも考えられないだろうか?

鵺の存在についての決定的な証拠や文献が見つかっておらず、明治時代以降、日本の歴史的文献の多くが消失してしまったので、尚更のこと鵺についての物議が醸されている訳だが、多くの文献が消失してしまう明治時代以前、鵺について徹底的に調べていた人物が存在する。それは、南総里見八犬伝で知られる江戸の作家、滝沢(曲亭)馬琴である。

馬琴の先祖が猪早太にあたるとして、玄同方言や南総里見八犬伝などにその思いが描写されており、馬琴は息子の縁談を御神籤で決め、江戸や諸国の珍談・奇談をまとめた兎園小説を出版するなど、オカルトに最も精通していた作家としても有名である。

それでは、妖怪の鵺について推測してみることにしよう。先ず、蟇目神事とは、音が鳴る鏑矢を北東、南東、南西、北西の四隅に放って邪を払う(注:多数の形式あり)神事である。




そして、先頭の十二時辰盤(24時間記法)北西方向の赤い部分【戌・乾・亥】が、それぞれ何を象徴しているのか調べてみると【戌=犬・乾=狐或いは龍(諸説あり)・亥=豚】と伝わってきたのだが、豚は猪が飼育された動物であり、当時の日本で豚は一般的ではなかったので、豚という動物は猪に似てはいるが、よく分からない動物という社会通念だったと考えられる。

亥=豚と伝わってきたものを一体誰が亥=猪として日本国内で広めることにしたのだろうか?謎が広がるばかりだが、仏教や十二支は6世紀半ば(諸説あり)頃、日本に伝わってきたもので、仏教が伝来した影響で肉食が忌み嫌われ、更に645年には天武天皇によって稲作促進の為に肉食が部分的に禁止され、日本は猪の飼育から遠ざかることになった。

因みに、干支での猪は、冒険、勇気、無病息災の象徴とされているようだ。

頼政の鵺退治の話に戻るが、頼政は平家政権の下に置かれていたこともあり、例え一緒に妖怪退治に行った部下の猪早太が妖怪を退治したとしても、頼政の手柄にしてしまうことは容易に想像できないだろうか?

現代社会でも、部下の手柄を上司の手柄にして、目上の人を引き立てることはよくある話だからだ。




わざわざ、【猪早太がとどめを刺した】と記されていることも筆者としては気に掛かる。

そして、天皇家も関係している話なので、猪早太が頼政に手柄を譲った義理として、頼政が天皇に、『良く分からない亥(豚)という動物を猪早太の名前から、日本ではなじみのある猪として世に広めては如何でしょうか?』とお伺いを立て、豚が猪に似ていることも重なり、亥が豚ではなく猪として日本で広まることになったとも考えられないだろうか?

或いは、【亥・乾・戌】とあるので、もう一人加えた頼政を始めとする3人(諸説あるので、必ずしも2人とは限らないだろう)が妖怪退治に出かけて、誰が先に妖怪を退治するか競争になり、妖怪を退治した者の名前を十二時辰盤の象徴にすることになったとは考えられないだろうか?もしくは、天皇の前で弓矢による競技を行い、十二時辰盤の象徴を決めたのかも知れない。

また、頼政が蟇目神事によって邪を払ったというような出来事を最短省略暗号化することにより生じた、単語や文字の組み合わせを絵に表して伝えた(迅速に伝言する為に内容を最短にしたり、絵で表して伝える風習は世界共通と言える)ことも考えられるので、鵺の容姿は、北東の寅(虎)、南東の巳(蛇)、南西の申(猿)、北西の乾(犬とイノシシ)などの方角を示す干支を象徴する獣の合成から考えられたのではないかという説もあるようだ。

そこで、筆者の推測をまとめると、妖怪退治に出かけた3人で、誰が最初に妖怪を退治するか競争しようということになり、猪早太が夜に鳴く鳥(当時は妖怪、化け物、鵺などと考えられていた)を退治したが、頼政に手柄を譲ることにより、十二支の亥は猪早太の名前から取って猪を象徴するものとして広まることになったと考えられる。

そして、頼政が源氏より受け継いだ鏑矢を使用していたことから、蟇目神事の作法が省略暗号化されて、四隅それぞれの方角を象徴する、虎、蛇、猿、猪の獣を合成して鵺の容姿が出来上がった。つまり、鵺の容姿は蟇目神事を意味しているのではないだろうか?

※源頼政 源三位頼政和光尊儀(げんさんみよりまさわこうそんぎ) 縁切りの神様 本光寺案内板より

※本光寺(千葉県市川市大野町)

参考:平家物語、源平盛衰記、玄同方言、南総里見八犬伝、本光寺案内板、ウィキペディア

(前世滝沢馬琴 山口敏太郎タートルカンパニー ミステリーニュースステーションATLAS編集部)

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