【芸能界黒歴史】ドロドロ不倫の果て…オトコを刺殺したグラマー女優

以前、ATLASでは殺人を犯した俳優の逸話として、天津七三郎の事件を取り上げた。

今回は天津の事件からおよそ5年後1969年(昭和44年)に発生したある殺人事件についてご紹介したい。

女優・毛利郁子は1933年生まれで、満23歳になった1956年(昭和31年)に大映の「10期俳優研修生」として入社した。デビュー当時から男たちの眼を釘付けにするような、豊満な肉体を売りにしたグラマー女優として人気を博し、時代劇から現代劇、特撮映画に至るまで数多くの作品に出演した。

当たり役は「妖怪役」であり、『妖怪百物語』(1968年)『妖怪大戦争』(1968年)に於ける、ろくろ首役は当時の子供達に夜な夜な夢に出てくるような、大きなトラウマを与えたという。

そして、デビューから13年が経過した1969年、毛利は当時交際していた芸能プロモーターの男性とのもつれ話から、その彼を刃物で刺し殺害するという悲惨な事件が起こったのである。




その当時の新聞によると、この事件が起こったのは兵庫県姫路市にある某ドライブウェイ内で、最初ふたりは車のなかで「別れる別れない」の口論を始めた。そしてついには我を忘れ、怒り狂った毛利はプロモーターを刃物で刺してしまった。その後、我に帰った彼女はすぐに通りがかり車へ助けを求めたが、すでに間に合わずプロモーターは数時間後に死亡したという。

また、記事によると、毛利は事件の8年ほど前からこのプロモーター氏と男女の仲になったという。子供も身篭ったが、彼には実は妻子もあり、さらにふたりは2年ほど前から別れ話が進んでいたらしい。

その頃から毛利は「もし別れるなら彼を殺害する」と周囲へ漏らしていたようである。そして事件当日の1969年12月14日、プロモーターをドライブへ誘い出し、用意していた肉きり包丁で殺害した、と書かれてることからも以前より用意周到に計画を立てていた犯行だった可能性が高いという。

ところが、プロモーターは以前から毛利が自分へ殺意を抱いていたこと、彼女との間に子供が出来たことに対し引け目を感じていたらしく、息絶える寸前に警察には「自分がやった。詳しいことは聞かないでくれ」と証言していたという。また、毛利本人も犯行を否認していたことから、当初は自殺の線で捜査が進んでいた。しかし毛利の供述に曖昧な点や食い違いが生じたことから、改めて疑いの目がかかることになり、逮捕となった。




現役の女優だった毛利による殺人は当時、大手新聞メディアにも紹介され、犯行当時には出演した映画の公開が控えていたため、世間に与えた衝撃は大きかったようだ。

なお、毛利の犯行は当時「極めて悪質」とされたが、勝新太郎ほか俳優仲間の嘆願書や、本人が強く反省しいていることもあり、懲役5年の判決が言い渡され、3年後の1977年(昭和52年)に仮釈放されている。出所後、毛利は芸能界を引退し、平穏な家庭生活を送っているらしいが、現在の消息は不明である。

妻子ある男性との不倫のあげく、最悪の結末を迎えてしまった毛利であるが、存命であるとすれば、現在は87歳のはずである。しかしながら、人を殺めるという大罪を犯した彼女にとって、事件から40年以上もの間、自責の念に駆られない日々は無かったに違いない。

(文:穂積昭雪 ミステリーニュースステーションATLAS編集部)

画像©PublicDomainPictures PIXABAY

 

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