歌川国芳は、江戸時代後期に活躍した代表的な浮世絵師の一人。
のちに妖怪「がしゃどくろ」のイメージとして紹介される『相馬の古内裏』を描いたことでも知られ、また、複数の人間の体を組み合わせて一人の人物の顔・姿に見立てる「寄せ絵」と呼ばれるジャンルを開発し人気を博した。
大の猫好きであったことでも知られており、猫の絵(擬人化を含む)を多く発表するだけでなく、実際にペットとして飼っていた。常に5~6匹は飼っており、しかも絵の作業や散歩の時でさえ数匹を抱きかかえていたという。なお、多い時には10数匹も飼っていたと言われている。
そんな愛猫家の国芳となれば、愛する猫が行方不明になったら一大事。『浮世絵師歌川列伝』によれば、ある時1匹の愛猫がいなくなってしまい、弟子総出で一日中探し回ったという。しかし、結局いなくなった猫が見つかることはなかったようだ。
国芳は、飼っていた猫が死んでしまうと、回向院まで運んで供養してもらい、常置している猫専用の仏壇に戒名の入った位牌を丁寧に飾っていたという。弔いまでも丁重に行なっていた国芳であるが、なんとある出来事によって弟子が破門にされてしまったという逸話もある。
その日、国芳の弟子である歌川芳宗が、亡くなった猫とお布施の入った壺を運び、回向院へと向かっていた。しかし、まもなく回向院に差し掛かるという両国橋まで訪れると、彼は歩みをぴたりと止めた。
そして、「これだけのお布施があれば女遊びもできる」「こんな猫、いちいち念仏を唱えてもらうなんてバカバカしい」と考え、なんと猫の亡骸を橋から投げ捨て、身だしなみを整えるために床屋と湯屋へ行った後、遊郭に赴き遊んで夜を明かしたという。
朝になり、何食わぬ顔で国芳のもとに戻って来た芳宗であったが、「ご苦労だった、それで戒名はなんだった?」と国芳に聞かれたことで事情がすっかりバレてしまい、破門されてしまったそうだ。
因みに、この芳宗という弟子は国芳の弟子の中でもかなりクセの強い人物だったらしく、十数回も破門と出戻りを繰り返していたらしい。
【参考記事・文献】
・https://dic.nicovideo.jp/a/%E6%AD%8C%E5%B7%9D%E5%9B%BD%E8%8A%B3
・http://artistian.net/kuniyoshi-cat/#i-5
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【文 イトフゆ】
画像 ウィキペディアより引用

