藤井フミヤは、ミュージシャンや俳優として活躍する人物。
1980年代から90年代にかけて活躍したロックバンド「チェッカーズ」の最年長かつリードボーカルをつとめ、1992年12月31日にNHK紅白歌合戦にて解散するまでのチェッカーズ時代には、100曲を超える作詞を手掛けた。現在の名義は解散後の表記であり、それ以前は「藤井郁弥」と表記される。
彼は、ミュージシャンとしてのデビュー前に元国鉄(現JR)の職員を勤めていたことがある。
期間は高校卒業後に1年ほど、佐賀県の鳥栖駅で半年の見習い期間を経て、長崎県の早岐駅で輸送係として貨物列車の連結・操車・入換といった業務を行なっていたという。
彼は当時、バンド活動は細々とやっていたものの、歌でやっていこうという気持ちは全く無かった。そもそも国鉄に入社した理由は、父親を含めて実家まわりの人たちに国鉄勤務が多かったためだったそうだ。
仕事そのものは待ち時間が長いため忙しいというほどではなかったものの、当時大ブームであった寝台列車「ブルートレイン」の連結なども行なったことがあったとのこと。
そんな中で彼がつらかったのは、国鉄労働組合の組合員として動員されたことだという。
休みを返上して嫌々ながらデモや勉強会に動員され、ヘルメットにマスクをつけ、「横暴な国家権力は許さない!」と言って機動隊に突っ込んだこともあるという。なお、動員に参加しなかった時はたびたび先輩から怒鳴られていたという。
そんな彼が国鉄を辞める決心をしたきっかけは、当時東京に住んでいた彼女の存在だった。
その日は、雪の降るホームで連結の作業真っただ中。ブルートレインに表示された『東京』という文字のテールランプが雪の中に消えていくのを見て、彼は「東京行きてぇ」と思った。そして、彼女の存在とともに、自分の人生のレールはこれでいいのかという思いがよぎり、それが国鉄を辞職する決意につながった。
その彼女とは上京後に結婚し現在に至っている。
【参考記事・文献】
・https://shiri-times.com/2021/07/31/talent-pre-job/
・https://ishikari210.blog.fc2.com/blog-entry-1107.html
・https://news.nicovideo.jp/watch/nw2267664
・https://dic.pixiv.net/a/%E8%97%A4%E4%BA%95%E3%83%95%E3%83%9F%E3%83%A4
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【文 黒蠍けいすけ】